赤地に、黄色い5角星。ベトナムの国旗、金星紅旗(ベトナム語:Cờ Đỏ Sao Vàng、コー・ドー・サオ・ヴァン)です。シンプルなデザインですが、1940年の南圻起義(ナム・キ蜂起)で初めて掲げられ、フランス植民地支配との戦いの旗となったという、20世紀の独立闘争の物語を背負った1枚です。ホー・チ・ミンが1945年9月5日に正式採用した、ベトナムの自由の象徴でもあります。今回はそんなベトナム国旗の話。
まずは構成のおさらい
ベトナム国旗の構成は、次のとおりです。
- 背景:赤
- 中央:黄色い5角星
- 比率:2:3
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 赤:革命、ベトナム国民が独立のために流した血
- 黄色い星:ベトナム、ベトナム民族
- 5つの星の先:労働者・農民・知識人・青年・兵士という、社会主義革命を支える5つの社会集団
赤と黄の2色に1つの星という、極めてミニマルな社会主義革命の旗です。
「金星紅旗」 ── 名前そのものが旗
ベトナム国旗の名前は、金星紅旗(Cờ Đỏ Sao Vàng)です。
「金星紅旗」の意味
「Cờ」は旗、「Đỏ」は赤、「Sao」は星、「Vàng」は金(黄)を意味します。つまり「赤の旗、黄色の星」という、国旗の構成をそのまま名前にしたシンプルな呼称です。
ダンネブロー(デンマーク人の布)、アイ・ユルドゥズ(月と星)、トリコロール(三色旗、フランス)などと並ぶ、国旗そのものに名前がある国家として、ベトナム国旗は文化的に重要なシンボルです。
1940年11月、南圻起義 ── 旗の誕生
ベトナム国旗の誕生は、1940年11月23日の南圻起義(Nam Kỳ Uprising)にさかのぼります。
フランス植民地支配下のベトナム
ベトナムは、1858年から1954年まで約96年間、フランスの植民地でした。フランス領インドシナの一部であり、コーチシナ(南部、Nam Kỳ)、アンナン(中部)、トンキン(北部)の3地域から成っていました。過酷な植民地統治、強制労働、土地収奪が続きました。
第二次大戦と日本軍
そして1940年9月、日本軍がフランス領インドシナに進駐します。フランス植民地政府はヴィシー政権(ドイツ占領下)に従属しており、日本軍とフランス政府による「二重支配」は、ベトナム人にとって二重の抑圧となりました。ベトナム人民の不満は爆発寸前でした。
1940年11月23日、南圻起義
1940年11月23日、ベトナム南部(コーチシナ)でインドシナ共産党が蜂起します。約8,000人が参加したフランス植民地軍に対する武装蜂起で、このとき「赤地に黄色い星」の旗が初めて掲げられました。
デザイナー:諸説あり
国旗を最初にデザインしたのは誰か、これには諸説あります。インドシナ共産党員のグエン・ヒュー・ティエン(Nguyễn Hữu Tiến、1901-1941)とする説、レ・クアン・ソー(Lê Quang Sô)とする説、そして集合的なデザインとする説です。
1人の明確なデザイナーはおらず、共産党のシンボルとベトナムの色を組み合わせた、革命運動の集合的な発想だったというのが現代の見方です。
結果
蜂起はフランス軍に鎮圧され、数千人が逮捕・処刑されました。グエン・ヒュー・ティエンも1941年に処刑されています。しかし、赤地に黄星の旗は「独立のシンボル」として定着しました。
敗北の中から独立の旗が生まれたというのが、ベトナム国旗の起源です。
1945年9月5日 ── ホー・チ・ミンが国旗に
南圻起義の旗は、ホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh、1890-1969)によって、ベトナムの国旗となりました。
1945年8月、八月革命
1945年8月14日、日本が敗戦します。ヴィエト・ミン(ベトミン、ベトナム独立同盟会)が八月革命を起こし、バオ・ダイ皇帝が退位、ベトナム民主共和国が樹立されました。
1945年9月2日、独立宣言
1945年9月2日、ハノイでホー・チ・ミンが独立宣言を行います。アメリカ独立宣言を引用して「すべての人は生まれながらにして平等」と述べ、新生「ベトナム民主共和国」の誕生を告げました。
1945年9月5日、国旗に
そして1945年9月5日、ホー・チ・ミンが金星紅旗をベトナム民主共和国の国旗として正式に採用しました。南圻起義(1940年)の旗が、独立国家の正式国旗となったのです。革命の象徴から、国家の象徴への転換でした。
革命の旗が5年後に国家の旗になるというのは、世界の独立旗の典型的なパターンです。
1955年、デザインの微調整
1955年11月30日、星のデザインが微調整されました。星の先がより直線的になり、以後、現代まで変更されていません。
ホー・チ・ミン ── ベトナム独立の父
ベトナム国旗を国家旗にしたのが、ホー・チ・ミンです。
「光をもたらす者」
「Hồ Chí Minh」は、ベトナム語で「光をもたらす者」「啓蒙する者」を意味します。本名はグエン・シン・クン(Nguyễn Sinh Cung)で、革命活動中の偽名として「ホー・チ・ミン」を使用しました。
世界を旅した革命家
ホー・チ・ミンの経歴は極めて国際的です。1911年にフランスへ渡り、1920年代にはパリでフランス共産党の創立メンバーとなりました。ソ連で訓練を受け、中国やタイで革命活動を行い、1941年にベトナムに帰国してベトミンを結成しました。
サイゴンで生まれ、世界を見てから独立を導いたというのが、ホー・チ・ミンの特徴です。
戦後のベトナム戦争
しかし、1945年の独立宣言後も、独立はすぐには実現しませんでした。1946年から1954年まで第一次インドシナ戦争でフランスと戦い、1954年のジュネーブ協定でベトナムは南北に分裂します。続く1955年から1975年まで、南北統一を巡るベトナム戦争が続きました。ホー・チ・ミンは1969年9月2日に逝去し(享年79)、統一を見ることはありませんでした。
1976年、南北統一
1975年4月30日、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終結します。南ベトナム(ベトナム共和国)が降伏し、1976年7月2日に南北が統一されて、ベトナム社会主義共和国が成立しました。国旗は北ベトナムの金星紅旗をそのまま継承しました。
ホー・チ・ミンの死後7年、彼の旗の下で南北統一が実現したというのが、ベトナム史の重要な転換点です。
「赤」と「黄」 ── 革命と民族
ベトナム国旗の2色のシンボリズムを見ていきます。
赤 ── 革命
赤は、共産党の色であり、世界の社会主義国家に共通する色です。革命のために流された血、戦士の犠牲を表します。
黄 ── ベトナム民族
黄色は、ベトナム人の伝統的な民族色であり、古代からベトナムを象徴してきました。近代の阮王朝時代の旗も黄色で、黄色地に三色の横帯が用いられました(フランス統治下からバオ・ダイ皇帝時代まで)。黄色はベトナム人そのものを表す伝統的な色です。
赤い革命の中に、黄色のベトナム民族の星。社会主義の赤と民族の黄色を融合した、独自のデザインです。
ベトナムという国
ベトナムの基本情報です。
- 正式名:ベトナム社会主義共和国(Cộng hòa Xã hội Chủ nghĩa Việt Nam)
- 首都:ハノイ(Hà Nội)
- 最大都市:ホーチミン市(旧サイゴン)
- 面積:約33.1万km²
- 人口:約1億人
- 公用語:ベトナム語(オーストロアジア語族)
- 宗教:仏教(約16%)、キリスト教、カオダイ教など、多くは無宗教
「細長い国」
ベトナムは南北に細長い国です。南北約1,650km、東西最狭部は約50kmしかありません。北の紅河デルタと南のメコンデルタを2つのかごに、山岳地帯を棒に見立てて、「棒の両端に2つのかごを下げた姿」と詩的に表現されることもあります。
「経済成長の優等生」
ベトナムは、21世紀に急速な経済成長を遂げました。1986年のドイモイ(刷新)政策で市場経済を導入し、1990年代以降は急速に経済が発展しています。GDP成長率は年平均6-7%で、「東南アジアの新興大国」と呼ばれています。
国旗の赤は社会主義を表しますが、経済は市場経済を採用しています。社会主義国家でありながら市場経済を採用するこの「中国モデル」を、ベトナムも取り入れており、中国・キューバ・ラオス・北朝鮮と並ぶ、世界の社会主義国家のひとつです。
「戦争の記憶」
ベトナムは、20世紀に壮絶な戦争を経験しました。対フランスの第一次インドシナ戦争(1946-1954)、対アメリカのベトナム戦争(1955-1975)、対中国の中越戦争(1979)です。戦争による総死者は約400-500万人とされます(諸説あり)。
国旗の赤は、こうした戦争で流された血の総和でもあり、ベトナム国民の集合的記憶となっています。
「親日国」
ベトナムと日本は、現代では極めて友好的な関係にあります。日本は最大のODA供与国であり、多くのベトナム人技能実習生が日本で働いています。日本国民のベトナムへの印象も極めて良好です。
赤い金星紅旗の下、日本との温かい交流が続いているというのが、現代のベトナムです。
ちなみに:「ベトナム」の意味
国名「ベトナム」(Việt Nam)の意味を見ていきます。
「越南」 ── 越の南
「Việt」(越)は百越(古代中国南方の民族)の「越」を、「Nam」(南)は南を意味します。あわせて「Việt Nam」で「越族の南」となります。
「中国の南」
「Việt Nam」という名は、実は中国の嘉慶帝が1804年に与えた名前です。当時の阮王朝が朝貢使を送って新しい王朝名を求めたところ、嘉慶帝が「Việt Nam」と命名しました。これは、秦の崩壊後に趙佗(ちょうだ)が建国した「南越」(紀元前203年-)の文字を入れ替えた名称です(始皇帝=嬴政の時代には南越国はまだ存在せず、南海郡などが置かれていました)。
国名は中国の皇帝が決めたというのは、ベトナムの長い中国文化との関係を示しています。「四千年の中国文化と千年の独立闘争」と評されるベトナムの歴史を物語っています。
まとめ:南圻起義の血と、独立の星
今回のベトナム国旗まとめ。
- 赤地+中央の黄色い5角星(2:3)
- 1945年9月5日、ホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の国旗として正式採用
- 1955年11月30日、星のデザインを微調整、現代版に
- 1976年、南北統一後もそのまま継続使用
- 原型は1940年11月23日の「南圻起義」(南部のフランスへの蜂起)
- デザイナーは諸説あり、グエン・ヒュー・ティエン(1901-1941、処刑)らが候補
- 赤=革命・独立のために流された血、黄星=ベトナム民族
- 5つの星の先=労働者・農民・知識人・青年・兵士(社会主義の5社会集団)
- ベトナム語名「金星紅旗」(Cờ Đỏ Sao Vàng)
- 1858-1954年、約96年間フランス植民地(インドシナ)
- 1945年8月革命でバオ・ダイ皇帝退位、9月2日独立宣言
- ホー・チ・ミン(1890-1969)はフランス共産党創立メンバー、世界を旅した革命家
- 1946-1954年第一次インドシナ戦争、1955-1975年ベトナム戦争、1979年中越戦争
- 戦争総死者は約400-500万人(諸説あり)
- 1986年ドイモイ政策で市場経済導入、東南アジアの新興大国
- 国名「Việt Nam(越南)」は1804年に清の嘉慶帝が命名
- 現代は日本との友好関係が極めて深い
赤い革命の中に、黄色いベトナム民族の星。ベトナムの国旗は、社会主義の赤と民族の黄色を融合した、20世紀独立闘争の代表的な旗です。