青と黄の横二色。世界中でいまもっとも目にする国旗のひとつ、ウクライナ国旗です。「青い空のもとに広がる金色の小麦畑」という美しい解釈が広く知られていますが、実はもう1つ、ぜんぜん別の由来があるのを知っていますか。800年前の中世王国の紋章まで遡る話です。今回はそんなウクライナ国旗の話。
まずは構成のおさらい
ウクライナ国旗は、上から次の横二色(バイカラー)です。
- 青
- 黄
縦横比は2:3。これだけで、文字も模様も紋章もありません。ヨーロッパでもっともシンプルな国旗のひとつで、覚えやすい代わりに「なぜこの色なのか?」と聞かれると、即答できる人は意外と少なかったりします。
解釈1:「空と小麦畑」
もっとも有名な解釈はこれです。青はウクライナの広い大地の上に広がる空、黄はその下に広がる、見渡す限りの小麦畑を表します。
ウクライナはヨーロッパ随一の穀倉地帯で、「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれるほどの農業国です。国土の3分の2近くが農地で、なかでも黒土地帯(チェルノーゼム)と呼ばれる肥沃な土壌に覆われた小麦畑が広がっています。
頭上の青空を、足元の黄金の小麦畑を。これがそのまま国旗になった、というロマンチックな解釈です。観光ガイドや教科書、ニュースの解説などでも、たいていこの説で紹介されます。
ただ、この解釈は近代以降の後付けで広まったもの、という見方もあります。実はこの色には、それよりずっと古いルーツがあるんです。
解釈2:12世紀の「ガリツィア・ヴォルィーニ王国」の紋章
もう1つの由来は、800年以上前まで遡るものです。
中世ウクライナのガリツィア・ヴォルィーニ王国(12-14世紀、今のウクライナ西部)は、「青地に金のライオン」を紋章としていました。特にダニーロ・ロマノヴィチ王(在位1253-1264)の時代から、この紋章がウクライナ西部の主要都市リヴィウのシンボルとして使われ続けてきました。
この「青地+金のライオン」という組み合わせが、青地はウクライナ国旗の青へ、金(黄)のライオンはウクライナ国旗の黄へと、近代以降の国旗デザインに引き継がれていった、というのが「紋章学的・歴史的な解釈」です。
つまりウクライナ国旗には、「自然のロマン」と「中世王国の紋章」という、ぜんぜん違うレイヤーの2つの起源が並立しています。「どちらが正しい」というよりは、「両方とも本当」、というのが面白いところです。
1848年、リヴィウから近代史が始まる
「現代的な意味でのウクライナ国旗」が登場するのは、1848年、ヨーロッパ全土を揺るがした諸国民の春の年です。
オーストリア帝国の支配下にあったウクライナ西部のリヴィウで、ウクライナ人の代表組織、最高ルーシ評議会(Supreme Ruthenian Council)が結成され、民族の旗を採用しました。彼らが選んだのは、青と黄の横二色です。
ここで興味深いのは、当初は「黄が上、青が下」だったということ。リヴィウの伝統的な紋章(青地に金のライオン)から色を取り出したとき、金色を上に置くのが紋章学的には自然だった、という見方ができます。
1918年、上下がひっくり返った(諸説あり)
ウクライナがロシア帝国の崩壊とともに独立を果たしたのが1917-1918年です。
短命に終わるものの、ウクライナ人民共和国(東部)と西ウクライナ人民共和国が成立し、それぞれが青黄の旗を採用しました。
このとき、1918年に色の上下が「青が上、黄が下」へ整理されたと長く語られてきました。理由はまさに「空と小麦畑」の象徴性を反映するため、と伝えられています。頭上には青い空、足元には黄金の小麦畑、これが正しい順番だ、というわけです。
紋章ベース(黄上)から、自然ベース(青上)への切り替え。この瞬間、現代ウクライナ国旗の基本形が固まったわけです。
ただし、この「反転」エピソードは近年の研究では諸説あり、というところまでお伝えしておきます。ウクライナ紋章学会(Ukrainian Heraldry Society)の調査では、1917年のウクライナ人民共和国の段階から法律上はすでに「青上」が想定されており、現場で「黄上」「青上」が混在して使われていた状態が、徐々に「青上」に統一されていった、という見方が近年は有力です。「ある日きっぱり反転した」というよりは「しばらくはふた通りが並存していた」というのが、たぶん本当の姿です。
ちなみに1917年3月25日には、ペトログラード(現サンクトペテルブルク)でロシア二月革命の最中に、20,000人規模のウクライナ人デモで青黄旗が掲げられました。ロシア帝国内で公にウクライナの旗が掲げられた、史上初の瞬間と言われています。
ソ連時代の70年、旗は禁じられた
1922年から、ウクライナはソビエト連邦の構成共和国となり、青黄の旗は公式には禁止されます。代わりに使われたのは、赤地に鎌と槌のソ連的なデザインでした。
ただ、この70年近くの間も、青黄旗はウクライナ人の「真の国旗」として記憶され、海外のウクライナ系コミュニティや、独立運動の地下組織で密かに使われ続けました。
そして1991年8月24日、ソ連崩壊の流れのなかでウクライナが独立を宣言。1991年9月4日、議会で初めて青黄旗が掲揚されます。
そして1992年1月28日、ウクライナ最高議会が正式に青黄旗を国旗として採択しました。70年以上の眠りを経て、国旗が完全に「目覚めた」瞬間です。
まとめ:1枚の旗に、2つの時代がある
今回のウクライナ国旗まとめ。
- 青(上)・黄(下)の横二色(縦横比2:3)
- 色の由来は2説並立:
- 「青い空と金色の小麦畑」(自然のロマン解釈)
- 「12世紀ガリツィア・ヴォルィーニ王国の紋章(青地に金のライオン)」(中世紋章学解釈)
- 1848年、オーストリア帝国領リヴィウの最高ルーシ評議会が黄上・青下で初めて近代的に採用
- 1917年3月25日、ペトログラードで2万人デモにより歴史上初めて公にロシア帝国内で掲揚
- 1918年ごろに青上・黄下で定着(ただし当初から黄上・青上が混在しており、徐々に青上へ統一されたとする説が近年は有力)
- ソ連時代(1922-1991)は禁止、代わりに赤地のソ連系旗
- 1991年独立、1992年1月28日に最高議会が正式採択
「自然」と「歴史」、2つの全然違う物語が、同じ青と黄の2色のなかに重なっている。ウクライナの国旗は、シンプルなのに二重の意味を背負った、ちょっと類のない1枚です。