赤地に、白い円、そのなかに赤い三日月と五芒星。チュニジアの国旗です。1831年から続く、アラブ世界とアフリカでもっとも古い旗のひとつで、オスマン帝国の継承者としての歴史を200年近く守り続けてきた1枚です。そして2010年から2011年にかけて、この旗のもとで「アラブの春」が始まりました。現代史的にも特別な意味を持つ国です。今回はそんなチュニジア国旗の話です。

政治的に繊細なトピックを含むため、当サイトの方針通り中立的・事実ベースで記述しています。


まずは構成のおさらい

チュニジア国旗の構成は、次のとおりです。

  • 背景:赤
  • 中央:白い円
  • 円のなか:赤い三日月と、三日月の開口部に置かれた赤い五芒星

色とシンボルの意味は、以下のとおりです。

  • :オスマン帝国時代から続く伝統色、独立闘争で流された血、勇気
  • 白(円):平和、国を照らす太陽の輝き
  • 三日月:イスラム、ムスリムの団結
  • 五芒星:イスラム五行(五柱)。信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼

シンプルですが、アラブ・イスラム世界の象徴を完璧に表現したデザインです。


1831年、世界最古級の旗のひとつ

チュニジア国旗の起源は、約200年前の1831年にさかのぼります。

1827年、ナヴァリノの海戦

チュニジア国旗誕生のきっかけは、1827年10月20日のナヴァリノの海戦でした。ギリシャ独立戦争の最中、オスマン帝国とエジプトの連合艦隊が、イギリス・フランス・ロシアの連合艦隊と戦い、オスマン側が大敗北を喫します。艦隊のほぼ全てが沈没しました。この戦いで、チュニジアの艦隊もオスマン側として参戦し、ほぼ全滅しています。

アル=フサイン2世の決断

戦闘での大損失を経て、当時のチュニジアの統治者アル=フサイン2世(Al-Husayn II ibn Mahmud、フサイン朝のベイ、在位1824-1835)が、自国の識別性を明確にした新しい旗を作る必要があると判断しました。

1831年頃、現在のチュニジア国旗の原型が制定されます。オスマン帝国の三日月・星を踏襲しつつ、白い円を背景に置くことで、オスマン旗(赤地に直接の三日月)との差別化を図ったものでした。オスマン宗主国に従属しつつ、独自のアイデンティティを示すという、絶妙なバランスの設計です。

「世界最古級の国旗」

チュニジア国旗は、アラブ世界・アフリカでもっとも古い、現役の国旗のひとつとして知られています。1831年制定(諸説あり、1827年とも)で、約200年間、基本デザインがほぼ変わっていません。

世界の最古級の国旗を並べると、デンマーク(ダンネブロー)が13世紀、オーストリアが1230年(諸説あり)、オランダ(赤白青の三色)が17世紀、英国(ユニオンジャック)が1801年、そしてチュニジアが1831年です。アラブ・アフリカでは唯一の超古参旗という、特別な地位にあります。


オスマン帝国との関係

チュニジア国旗の三日月と星は、オスマン帝国の象徴そのものを継承しています。

オスマン帝国とは

オスマン帝国(1299-1922)は、6世紀以上続いた巨大なイスラム帝国でした。最盛期には現在のトルコ・バルカン半島・アラビア半島・北アフリカ・コーカサスを統治し、首都はコンスタンティノープル(現イスタンブール)に置かれました。公式旗は、赤地に三日月と星でした。

チュニジアはオスマン帝国の属領

チュニジアは、1574年から1881年まで、約300年間オスマン帝国の属領でした。直接統治ではなく現地のベイ(地方支配者)が自治を行いましたが、オスマン帝国への忠誠は維持し、税の納付と軍事協力を行っていました。

事実上の自治国家だが、形式上はオスマン帝国の一部、という関係性です。だから国旗のシンボルも、オスマン帝国を意識したデザインになったわけです。

三日月+星のシンボル

「三日月+星」というデザインは、現在ではイスラム全般のシンボルと思われがちですが、実は近代以降にオスマン帝国経由で広まったものです。古代エジプト・フェニキアなどでも三日月のシンボルは使用されていましたが、オスマン帝国が公式に採用したのは18世紀末で、その後トルコから他のイスラム国家へ波及しました。

現在、三日月と星を国旗に持つ国は、トルコ、チュニジア、アルジェリア、リビア、モーリタニア、パキスタン、マレーシア、シンガポール(イスラム色は薄いものの)、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなどがあります。いわば「三日月+星クラブ」とも呼べる、イスラム国家の伝統的シンボルファミリーです。


五芒星 = イスラム五行

国旗の中央の五芒星(5つの先端を持つ星)は、イスラム教の中核教義を象徴しています。

イスラム五行(五柱)

イスラム五行(アルカーン・アル=イスラーム)は、ムスリムが守るべき5つの基本義務です。

  1. シャハーダ(信仰告白):「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」
  2. サラート(礼拝):1日5回の礼拝
  3. ザカート(喜捨):収入の一部を貧者に施す
  4. サウム(断食):ラマダーン月の日中の断食
  5. ハッジ(巡礼):人生に一度のメッカ巡礼

国旗の星の5つの先端が、これら5つの義務を象徴しています。チュニジアは、イスラム教徒の国であり、五行を守る民の国である。そんなメッセージが、星のデザインに込められているわけです。


1881-1956年、フランス保護領時代

チュニジアの国旗が制定された後、政治的支配が変わる時期を迎えます。

フランス保護領化

1881年5月、フランスがチュニジアに侵攻し、バルドー条約でフランスの保護領となります。形式上はベイの統治が続きましたが、実権はフランスが握り、オスマン帝国からの独立性は失われました。

旗の継続使用

ところが、フランス支配下でも、チュニジア国旗は変更されませんでした。ベイの宮廷では引き続き三日月と星の旗が使われ、フランス国旗と併用されながら、チュニジア人の民族的アイデンティティのシンボルとして守られたのです。形式上の自治の名残として、国旗が継続使用されたわけです。

1956年、独立

そして1956年3月20日、チュニジアはフランスから独立します。国旗は1831年の原型をそのまま継続しました。独立後、政治体制は何度か変化し、1957年に君主制から共和制へ、2011年には独裁から民主化へと移りますが、国旗は変わりませんでした。

200年近く、ほぼ同じデザインを守り続けた国というのは、世界の国旗のなかでも珍しい部類です。


「アラブの春」の発祥地

現代史でチュニジアが最も注目された出来事が、2010年から2011年のジャスミン革命、そしてアラブの春の発端となった事件です。

2010年12月17日、シーディー・ブーズィードの自殺

2010年12月17日、チュニジアの地方都市シーディー・ブーズィードで、26歳の青年ムハンマド・ブアジジが自らに火をつけて自殺しました。失業者で野菜売りをしていた彼は、警察に商売道具を没収され、抗議の意思を示すためにこの行動に出たのです。この1人の青年の絶望的な行動が、現代アラブ世界の歴史を変える引き金になりました。

ジャスミン革命

ブアジジの自殺は、SNSを通じてチュニジア全土に拡散しました。若者の失業率の高さ、政府の腐敗、ベン・アリー大統領の23年に及ぶ独裁。それらへの国民の怒りが爆発します。2010年12月から2011年1月にかけて全土で大規模デモが起こり、2011年1月14日、ベン・アリー大統領がサウジアラビアに亡命して、23年間の独裁政権が崩壊しました。

ジャスミン(チュニジアの国花)にちなんで「ジャスミン革命」と名付けられた、21世紀のアラブ世界で最初の大規模な民主化革命でした。

「アラブの春」へ

そして、チュニジアの革命はアラブ世界全体に飛び火します。2011年1月25日にはエジプトでムバラク政権に対するデモが始まり、同年2月にはリビア・シリア・イエメン・バーレーンなどでも抗議運動が広がりました。これらは「アラブの春(Arab Spring)」として国際的に知られるようになります。1人の青年の絶望から、地域全体の民主化運動へ。現代史の大きな転換点でした。

チュニジアの「成功」

「アラブの春」の発祥国チュニジアは、他の国とは違う道を歩みました。エジプトは軍事政権に逆戻りし、リビア・シリア・イエメンは内戦・国家崩壊に陥りましたが、チュニジアは比較的安定した民主化に移行したのです。

2014年には、当時アラブ世界で最も民主的と評された憲法を制定しました。2015年には、チュニジアの市民社会対話団体がノーベル平和賞を受賞しています。アラブの春で唯一民主化に成功した国として、国際的に称賛されました。

ただし2021年以降、カイス・サイード大統領が憲法機能を停止し、2022年には大統領権限を大幅に強化した新憲法を国民投票で可決・施行しました。再び権威主義への傾斜が見られ、民主化の定着には課題が残っています。

国旗は変わらず

そんな激動の現代史を経ても、国旗のデザインは1831年からほぼ変更されていません。オスマン帝国の属領時代、フランス保護領時代、独立後の君主制・共和制、23年の独裁、ジャスミン革命、そして民主化と再権威主義化。これらすべてを通じて、旗は変わりませんでした。

国の政治体制が何度変わっても、200年前の旗が変わらない。それは、チュニジア国民のアイデンティティの強さを示しているとも言えます。


ちなみに:カルタゴと現代チュニジア

チュニジアの古代史を語るなら、カルタゴを抜きには語れません。

古代カルタゴ

カルタゴは、紀元前814年にフェニキア人が現在のチュニス近郊に建設した古代都市です。地中海西部の最大の海洋強国となり、ローマ帝国とのポエニ戦争(紀元前264-146年)を戦いました。ハンニバル将軍のアルプス越え(紀元前218年)でも有名です。しかし紀元前146年、ローマによって完全に破壊されました。

現代の遺跡

現在のチュニス近郊にはカルタゴ遺跡が残っており、ユネスコ世界遺産に登録されています。3,000年近く前の地中海最大の都市が、現代チュニジアの首都近くに眠っているのです。歴史の深さを感じさせます。


まとめ:200年の伝統と、新時代の象徴

今回のチュニジア国旗のまとめです。

  • 赤地に中央に白い円、円のなかに赤い三日月と五芒星
  • 1831年頃、フサイン朝のベイ・アル=フサイン2世が制定(諸説あり)
  • 1827年ナヴァリノの海戦をきっかけに、オスマン帝国旗から独自性を出す形でデザイン
  • 赤は血と勇気、白は平和と太陽、三日月はイスラム、五芒星はイスラム五行
  • 「三日月+星」はオスマン帝国の継承で、現代では多くのイスラム国家の共通シンボル
  • 1881-1956年のフランス保護領時代も国旗は継続使用
  • 1956年3月20日独立、1959年憲法で法制化、1999年に詳細規格
  • アラブ世界・アフリカで現役の最古級の国旗
  • 2010年12月、ムハンマド・ブアジジの自殺が「ジャスミン革命」、「アラブの春」の発端に
  • アラブの春で唯一民主化に成功した国として2015年ノーベル平和賞(市民社会対話団体)
  • 200年近く、ほぼデザイン変更なし

200年前の旗が、21世紀の革命でも掲げられた。チュニジアの国旗は、伝統の継続性と、新時代の象徴を兼ね備える1枚です。