赤・白・青・白・赤の5本の横帯。タイの国旗、トライロン(Trairanga、三色旗)です。シンプルで美しい構成ですが、この旗が生まれたきっかけは、ある日「象の旗が逆さまに掲げられた事件」だったという、ちょっと意外な逸話があります。そして3色には「国家・宗教・王」の3つの意味が込められていて、タイらしさの全部が詰まった旗です。今回はそんなタイ国旗の話。
まずは構成のおさらい
タイ国旗の構成は、次のとおりです。
- 配色:上から赤・白・青・白・赤の5本横帯
- 比率:1:1:2:1:1(中央の青が他の倍幅)
- 対称性:左右対称・上下対称で、完全に対称的
色とその意味は、「国家・宗教・王」の三位一体を表しています。
- 赤:国家。タイ国民と国土を表します
- 白:宗教。仏教を表し、国民の約95%が上座部仏教の信徒です
- 青(広い中央):王制。タイのラーマ朝、王の権威を表します
3色で、タイの根幹をなす3つの要素を表現するという、極めて明快なシンボリズムです。
「象の旗」と、逆さまに掲げられた事件
タイ国旗の現在の姿が誕生したきっかけは、ある日の偶然の出来事だったと伝えられています。
1917年以前、「象の旗」
タイ(当時のシャム王国)は、1855年頃から「赤地に白い象」の旗を使っていました。赤地の中央に白い象が描かれたもので、この象はエラワン、すなわちインドラ神の乗り物であり、王権の象徴でした。象は東南アジア王権の重要なシンボルとして、シャム王国の伝統的な旗に長く使われていたのです。
1916年、ある日の洪水
1916年、タイで洪水が発生しました。ラーマ6世(ワチラーウット王)が被災地を訪問していたとき、彼の目に飛び込んできたのは、ある住民の家に白い象の旗が逆さまに掲げられている光景でした。
これは悪意ではなく、洪水の混乱のなかでうっかり間違えただけのことです。でも、王の目には「不敬」として映りました。国王のシンボルである象が逆さまになっているというのは、当時の感覚ではかなり重い問題だったのです。
「左右対称にしよう」
その帰り道、ラーマ6世はこう考えました。象の旗は上下を間違えると逆さまになってしまう、完全に左右対称・上下対称な旗にすれば、二度とこういうことは起こらない、と。
そして1916年、まず赤白5本帯の暫定旗(民間用で、中央は青ではなく赤)を制定し、翌1917年に中央を青にした完全対称な5本帯のデザインに改訂しました。どちらが上か下か分からない、つまり間違えようがないという、極めて実用的な発想でした。国王の判断で伝統的なシンボルである象を捨て、完全対称のデザインに変えるというのは、大きな決断だったのです。
1917年9月28日、トライロン誕生
ラーマ6世の決断を経て、1917年9月28日、現代のタイ国旗が王令で正式採択されました。
「トライロン」(三色旗)
この旗は、タイ語でธงไตรรงค์(トン・トライロン)、つまり「三色旗」を意味します。「ธง」(thong)が旗を、「ไตรรงค์」(trai rong)が三色を表します。
三色、すなわち赤・白・青という構成は、世界中の三色旗(フランス・アメリカ・ロシア・イギリスなど)と共通しています。20世紀の国際社会に通用する旗、というメッセージでもありました。
なぜ「青」が加わったか
1917年初頭の段階では、赤と白の2色だけの5本帯(白象を撤去した後で、まだ青はなし)が暫定的に使われていました。その後9月に青が中央に追加された理由には、いくつかの説があります。
説1は、ラーマ6世の誕生日の色だというものです。ラーマ6世は土曜日生まれでした。タイの伝統では曜日ごとに守護色があるとされ、土曜日の正式な守護色は紫(Purple)です。ただし王が個人的に好んだ青色(青味がかった紫、濃紺)が「王の色」として国旗に取り入れられた、という解釈です。
説2は、第一次大戦の連合国との連帯です。1917年7月22日、タイは第一次世界大戦に連合国側で参戦し、イギリス・フランス・アメリカ合衆国などと同盟しました。これらの国の旗はすべて赤・白・青を使っていたため、我々も国際的な連合国の一員として赤白青の3色を採用しよう、という外交的なメッセージだったという説です。
説3は、単なるデザイン上の判断です。赤白だけだと地味で、青を加えることでより華やかで威厳のあるデザインになる、という美的判断だったというものです。
正確には「諸説あり」というのが答えですが、3つの説のいずれもある程度真実を含んでいると考えられています。
「国家・宗教・王」 ── タイの非公式モットー
タイ国旗の3色は、「ชาติ ศาสนา พระมหากษัตริย์」(Chat-Sasana-Phra Mahakasat、「国家・宗教・王」)というタイの非公式の国家モットーと直接対応しています。
| 色 | タイ語 | 意味 |
|---|---|---|
| 赤 | ชาติ(Chat) | 国家・国民 |
| 白 | ศาสนา(Sasana) | 宗教(仏教) |
| 青 | พระมหากษัตริย์(Phra Mahakasat) | 王・王制 |
国(赤)が、王(青)を中心に、宗教(白)に支えられて成り立つという、タイの国家観そのものを5本の帯に圧縮したデザインです。
上座部仏教の国
タイは、国民の約95%が上座部仏教の信徒です。東南アジアでもっとも仏教が深く根付いた国のひとつで、約3万の寺院が国内にあり、僧侶は社会で特別な敬意を受けています。
白い帯が表す仏教の純粋さというのは、形而上的な意味だけでなく、現実のタイ社会の中核を成す宗教を表しているのです。
タイ王室
タイ王室(チャクリー朝、1782年〜現在)は、1932年の立憲革命で立憲君主制に移行しました。しかし、王室への国民の敬意は今も極めて強く、王室侮辱罪(不敬罪)が現代も厳しく適用されています。
青の帯が表す王室の威厳というのは、現代のタイでも依然として強い意味を持っているのです。
「タイ」 ── 自由を意味する国名
タイの国名「ไทย」(Thai)は、「自由な人々」を意味する言葉です。
「シャム」から「タイ」へ
タイは1939年まで「シャム(Siam)」と呼ばれていました。「シャム」は外国(特にヨーロッパ人)が使った呼称で、その由来には諸説あり、サンスクリット語の「シャマ(Shyama)」(褐色の意)からなどと言われます。一方、タイ人自身は伝統的に自国を「ムアン・タイ(เมืองไทย)」(タイ人の国)と呼んでいました。
1939年、軍人で民族主義者のピブーン・ソンクラーム首相が国名を「タイ」に変更しました。「シャム」は外国人がつけた名前であり、我々は「自由な人々」を意味する「タイ」だ、というメッセージです。そこには、東南アジアでヨーロッパ列強による植民地化を免れたほぼ唯一の国としての誇りも込められていました。
「植民地化されなかった国」
タイの最大の誇りのひとつが、東南アジアで唯一、ヨーロッパ列強の植民地にならなかった国だということです。19世紀後半、英仏が東南アジアを次々と植民地化していきました(ビルマは英、ベトナムは仏、マレーは英、インドネシアは蘭)。そのなかでタイは、英仏の緩衝地帯として戦略的に独立を維持し、ラーマ5世(チュラーロンコーン)の巧みな外交で独立を保ちました。
国旗を作った時もタイは独立国だった、という事実が、国旗のデザインにも誇りとして反映されているわけです。
ちなみに:曜日の色
タイには「曜日ごとの守護色」という独特の伝統があります。生まれた曜日によって、その人の守護色が決まるというものです。
| 曜日 | 色 |
|---|---|
| 日曜日 | 赤 |
| 月曜日 | 黄 |
| 火曜日 | ピンク |
| 水曜日 | 緑 |
| 木曜日 | オレンジ |
| 金曜日 | 青 |
| 土曜日 | 紫 |
ラーマ6世は土曜日生まれで、伝統的な守護色は紫ですが、王自身が青系統の色を好んだことから、紺色寄りの深い青が国旗の中央に採用されたと言われています。
ちなみに前王ラーマ9世(プミポン・アドゥンヤデート)は月曜日生まれで、だから黄色がプミポンの色として、現在もタイ全土で見られます。
王の誕生曜日の色が国の象徴になるというのは、世界の旗の世界でも稀な、文化的に深い設計判断です。
まとめ:象の旗から、トライロンへ
今回のタイ国旗のまとめです。
- 赤・白・青(広)・白・赤の5本横帯(比率1:1:2:1:1)
- 1917年9月28日、ラーマ6世の王令で採択
- 3色は「国家・宗教・王」のタイ非公式モットー(赤は国家、白は宗教=仏教、青は王)
- 1916年の洪水時、白象の旗が逆さまに掲げられた事件をきっかけに、左右対称のデザインへ変更
- 青はラーマ6世個人の好みの色に、第一次大戦の連合国旗の色との連帯が加わる(諸説あり、伝統的な土曜日の守護色は本来は紫)
- 1855年の単色赤から象の旗へ、1916年の赤白5本帯を経て、1917年9月に青を追加
- 1939年、国名を「シャム」から「タイ」(自由な人々の意)に変更
- 東南アジアで唯一、ヨーロッパ列強の植民地化を免れた国
- 曜日の色の伝統がある(土曜日は紫が正式、王個人の好みで国旗には深い青が採用)
伝統的な象の旗が、洪水の偶然から現代的な三色旗に変わった。タイの国旗は、国家・宗教・王の三位一体を20世紀のデザインで表現した1枚です。