緑と青の三角形を、金色に縁取られた黒い斜めの帯が分ける。タンザニアの国旗です。「タンザニア」という国名そのものが、「タンガニーカ+ザンジバル」の合成語で、1964年に2つの独立国が統合してできた国なんです。国旗のデザインも、2つの旧国旗の要素を斜めの帯で「縫い合わせた」ような構造になっています。今回はそんなタンザニア国旗の話。


まずは構成のおさらい

タンザニア国旗の構成は、次のとおりです。

  • 斜め帯:左下から右上に伸びる黒い斜め帯(金色の縁取り付き)
  • 斜め帯の上:緑の三角形
  • 斜め帯の下:ライトブルー(水色)の三角形

色とその意味は、次のとおりです。

  • :タンガニーカの土地と農業
  • :タンガニーカの国民(アフリカ系住民)
  • 金(黄)の縁:タンガニーカの豊かな鉱物資源
  • :ザンジバルのインド洋・湖・川

緑黒黄はタンガニーカ、青はザンジバルという2つの旧国の色を、1つの旗で統合したデザインです。


「タンザニア」 = タン + ザン

タンザニアという国名そのものが、2つの旧国の名前を合体させた合成語です。タンガニーカにザンジバルとiaを合わせて「タンザニア」となります。

これは世界の国名のなかでも極めて珍しい命名法です。タンガニーカ(Tanganyika)は本土側で面積の99%以上を占め、ザンジバル(Zanzibar)は島嶼部で人口の約4.6%にあたります(2022年国勢調査、総人口約6,174万人のうち約284万人)。

2つの国が完全に対等な合体ではなく、本土と島の合併です。でも国名は両者の頭を取った合成語にするという、民主的な命名でした。どちらが上か下か分からない名前にするという、意図的な選択だったのです。


タンガニーカ ── 本土の旧独立国

タンザニアを構成するタンガニーカ(Tanganyika)は、本土側の旧独立国です。

歴史

古代、海岸部はスワヒリ海上交易の中心地でした。19世紀末にはドイツ領東アフリカの一部となり、第一次大戦後は国際連盟の委任統治領としてイギリス管理下に置かれます。そして1961年12月9日にイギリスから独立し(タンガニーカ独立)、翌1962年に共和国へ移行しました。

タンガニーカ国旗

独立時のタンガニーカ国旗は、緑・黒・緑の横三色でした(黒は細めで、上下を細い金線で縁取り)。緑が土地、黒が国民、金が鉱物資源を表します。

現代タンザニア国旗の緑・黒・金の3色は、ここから来ているわけです。


ザンジバル ── 島の旧独立国

もう一方のザンジバル(Zanzibar)は、インド洋に浮かぶ島嶼地域です。

歴史

ザンジバルも古代からスワヒリ海上交易の中心地でした。8世紀以降はアラブ商人が往来し、後に定住します。1698年にオマーンスルタン国の領土となり、1856年には独立したザンジバル・スルタン国に、そして1890年にはイギリス保護領になりました。独立は1963年12月10日、イギリスからのものです。

ザンジバル革命

ところが、独立からわずか1ヶ月後の1964年1月12日、ザンジバル革命が勃発します。アフリカ系住民がアラブ系支配層を打倒し、スルタンを亡命に追い込んで、共和制を樹立しました。

短期間に独立から革命、新体制へという劇的な変化、これがザンジバル現代史の出発点でした。

ザンジバル革命旗

革命後の新ザンジバル国旗は、青・黒・緑の3本帯(横帯)でした。青がインド洋、黒が住民、緑が大地を表します。

現代タンザニア国旗の青は、ここから来ているわけです。


1964年4月26日、統合

そして1964年4月26日、ザンジバル革命からわずか3ヶ月後、タンガニーカとザンジバルが統合します。タンガニーカ大統領ジュリウス・ニエレレと、ザンジバル革命指導者アベイド・カルメが合意し、「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」として連合しました。これは同年10月29日に「タンザニア連合共和国」へ改称されます。

革命直後の不安定な状態を、本土との統合で安定化させるという、政治的・経済的な計算もあった統合でした。

国旗の制定

統合とともに、新国旗が必要になりました。連合結成と同日の1964年4月26日、現在のタンザニア国旗が正式採用されます。タンガニーカの3色(緑・黒・黄)にザンジバルの青を加え、斜めの帯で両者を結合したデザインです。

2つの国旗の要素を対角線で組み合わせるというデザイン判断で、どちらが上か下かを決めず、対等な統合を表現したわけです。


「対角線」 ── タンガニーカ+ザンジバル

タンザニア国旗の最大の特徴が、対角線のデザインです。

なぜ対角線か

2つの旧国旗を組み合わせるには、いくつかの選択肢がありました。案Aは上下に分割する案(上がタンガニーカ、下がザンジバル)ですが、これだと上下関係が出てしまいます。案Bは左右に分割する案(左がタンガニーカ、右がザンジバル)ですが、これだと旗竿側の優先順位が生まれます。そして案Cが対角線で分割する案で、中立的で両方とも対等になります。

結果として案C(対角線)が選ばれました。どちらが上でも下でも、左でも右でもないという、統合の対等性を視覚化したかった、ということです。

旧タンガニーカ旗との連続性

ちなみに、タンガニーカ国旗自体に黒い中央帯と金色の縁があったので、新タンザニア国旗の対角線もそれを踏襲した形になっています。タンガニーカが水平な黒帯(金縁)だったのに対し、タンザニアは斜めの黒帯(金縁)です。

ほぼ同じシンボル要素を回転させた、とも読めます。タンガニーカ側に少し配慮があった、という見方もあります。


ニエレレ ── タンザニアの建国の父

タンザニア国旗を語るうえで、ジュリウス・ニエレレ(Julius Nyerere、1922-1999)を抜きには語れません。

「Mwalimu(先生)」

ニエレレは、タンガニーカ初代大統領であり、タンザニア初代大統領(1964-1985)でもあります。元は教師で、だから国民は彼を「Mwalimu」、すなわち「先生」と呼びます。エディンバラ大学で歴史学・経済学を学んだ知識人であり、アフリカ社会主義(ウジャマー)の提唱者でもありました。1985年には自主退任しており、これはアフリカでは稀な平和的な権力移譲でした。

アフリカ独立期の最も尊敬される指導者のひとりとして、現在も国父として尊敬されています。

ウジャマー社会主義

ニエレレの政策がウジャマー(Ujamaa)です。スワヒリ語で「家族意識・共同体」を意味し、アフリカ伝統社会を基盤とした社会主義でした。村落共同体での集団農業を進め、1967年のアルーシャ宣言で公式化されました。

外来のソ連型でも西側資本主義でもない、アフリカ独自の社会主義を目指した実験でした。結果は経済的には必ずしも成功しなかったものの、社会的・文化的な統合と、アフリカ的アイデンティティの確立には貢献した、と評価されています。

安定と多民族統合

タンザニアは120を超える民族集団を抱える多民族国家ですが、アフリカでも珍しく民族対立がほぼありません。スワヒリ語を共通語として全土で使用し、ニエレレ政権の早期からの統合政策のもと、「タンザニア人」というアイデンティティを確立してきたからです。

民族の対立がない稀有なアフリカ国家として、現在も国際的に評価されています。


観光と自然 ── タンザニアの誇り

タンザニアは、世界有数の自然観光地として知られています。

キリマンジャロ

キリマンジャロ(Mount Kilimanjaro)は、標高5,895mのアフリカ最高峰です。赤道直下に氷河を抱く独立峰で、登山者が世界中から訪れます。

国旗の緑が表す肥沃な大地、その象徴のひとつがキリマンジャロです。

セレンゲティ国立公園

セレンゲティ国立公園は世界遺産で、ヌー・シマウマの大移動で知られています。アフリカのサバンナの象徴ともいえる場所です。

ザンジバル島

ザンジバル島は「スパイス・アイランド」と呼ばれ、クローブ・ナツメグの世界的産地です。その中心のストーン・タウンはユネスコ世界遺産(アラブ・ペルシア・インド・ヨーロッパ文化の融合)で、観光リゾート地としても人気があります。

国旗の青が表すインド洋というのは、まさにザンジバル島の海岸の青さです。


ちなみに:フレディ・マーキュリーはザンジバル生まれ

ザンジバル島生まれの世界的な有名人が、クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury、本名 Farrokh Bulsara、1946-1991)です。1946年9月5日、ザンジバルのストーン・タウンに生まれました。両親はインドからのパールスィー(ゾロアスター教徒)移民で、ザンジバル革命(1964年)の混乱を受けて、17歳でイギリスへ移住しました。その後の活躍は世界的に有名です。

ロック史上最高のボーカリストのひとりが、タンザニアのザンジバル島生まれだという事実は、ザンジバル人の誇りでもあります。


まとめ:2つの国を、1つの旗にした合成国家

今回のタンザニア国旗のまとめです。

  • 黒い斜め帯(金色の縁取り、左下から右上へ)に、上に緑の三角、下にライトブルーの三角
  • 1964年4月26日採用(タンガニーカ・ザンジバル連合結成日と同日)
  • 緑・黒・金はタンガニーカ(土地・国民・鉱物)、青はザンジバル(インド洋)
  • 国名「タンザニア」は「タンガニーカ+ザンジバル+ia」の合成語
  • 1961年12月9日、タンガニーカがイギリスから独立
  • 1963年12月10日、ザンジバルがイギリスから独立
  • 1964年1月12日、ザンジバル革命
  • 1964年4月26日、両国が統合し、同年10月29日に「タンザニア」へ改称
  • 対角線デザインは「どちらが上下でもない、対等な統合」を表現
  • 初代大統領ジュリウス・ニエレレ(「Mwalimu=先生」)の社会主義(ウジャマー)
  • 120を超える民族を統合した、アフリカでも稀な民族対立のない国
  • キリマンジャロ・セレンゲティ・ザンジバルの世界的観光地
  • フレディ・マーキュリーはザンジバル島生まれ

2つの国旗を斜めに組み合わせて、1つの新しい旗にした。タンザニアの国旗は、国家統合のデザイン哲学そのものを表現する1枚です。