えんじ色の背景に、剣を持つ黄金のライオン。四隅には菩提樹の葉。左にはオレンジと緑の縦帯。スリランカの国旗は、世界の国旗のなかでももっとも要素が多く、もっとも細部まで意味が込められた1枚です。ライオン・剣・菩提樹・色のすべてに、シンハラ王朝の歴史と、仏教の哲学、多民族国家の構造が凝縮されています。今回はそんなスリランカ国旗の話です。
まずは構成のおさらい
スリランカ国旗は、見れば見るほど要素が多い旗です。
- 左側(旗竿側):2本の縦帯
- 緑(外側)
- オレンジ
- 右側(フライ):マルーン色(えんじ色)の長方形
- 中央:剣(カスタネ)を持つ黄金のライオン
- 4つの隅:金色の菩提樹の葉
- 全体:金色の縁取り
すべての要素に明確な意味があります。
各要素の意味
各要素の意味は、次のとおりです。
- 金色のライオン:シンハラ族(人口の約75%を占める多数派)
- 剣(カスタネ):主権と正義を表す、シンハラ王朝の伝統的な剣
- マルーン色(えんじ):シンハラ族の伝統色
- オレンジ縦帯:タミル系(ヒンドゥー教徒少数派、スリランカ・タミルとインド・タミルを合計すると人口の約15%)
- 緑縦帯:スリランカン・ムーア(イスラム教徒少数派、人口の約9%)
- 4枚の菩提樹葉:仏教の四無量心——メッター(慈)・カルナー(悲)・ムディター(喜)・ウペッカー(捨)
- 金色の縁:仏教信仰
ひとつの旗に、民族・宗教・歴史・哲学のすべてが入っている。それほど密度が高いのです。
ライオンと剣 ── シンハラ王朝の象徴
スリランカ国旗の中心が、剣を持つ金色のライオンです。これはシンハラ族の起源伝説と、シンハラ王朝の長い歴史を象徴しています。
シンハラ族の起源伝説
「シンハラ(Sinhala)」という民族名自体が、サンスクリット語で「シンハ(Sinha)=ライオン」+「ラ(la)=〜の子孫」を意味します。つまり「ライオンの子孫」です。
伝説によれば、こう伝えられています。
「ライオンの血を引く一族の王子ヴィジャヤが、素行を理由に父王に追放され、紀元前6世紀ごろスリランカに漂着し、700人の従者とともに上陸して、シンハラ族の始祖となった」
これがマハーワンサ(大史)という古代スリランカの年代記に記録された建国伝説です。ヴィジャヤ自身は王ではなく追放された王子であり、出身地である「シンハプラ」も、ベンガル地方(東インド)説とグジャラート地方(西インド)説の両方があり確定していません。諸説あり、というのが正確な答えです。
ライオンと血縁関係のある民族。この自己定義が、国旗の中心にいるライオンに表現されているわけです。
キャンディ王国の旗
このライオン旗は、シンハラ族最後の独立王国キャンディ王国(1469-1815)で実際に使われていました。
キャンディ王国は中央山岳地帯に位置した、地理的に守りやすい王国でした。ポルトガル・オランダの植民地化の圧力に200年以上抵抗しましたが、最後の王スリ・ヴィクラマ・ラージャシンハ(1798-1815在位)が1815年に英国に降伏します。
シンハラ王朝の独立が終わった瞬間です。キャンディ王国のライオン旗は、「失われた主権の象徴」になりました。
キャンディ王国の旗が、現代の国旗に
スリランカが1948年に独立したとき、キャンディ王国のライオン旗が再採用されました。133年ぶりに、シンハラ王朝のシンボルが国家旗として復活したのです。
英国に奪われた主権を、独立とともに取り戻す。そのメッセージを、ライオンと剣で表現したわけです。
4枚の菩提樹葉 ── 仏教の四無量心
旗の4隅にある菩提樹(ボダイジュ)の葉は、仏教の中心的なシンボルです。
菩提樹とは
菩提樹(Bodhi tree、サンスクリット語で「目覚めの樹」)は、釈迦(シッダールタ・ゴータマ)が悟りを開いた木として、仏教でもっとも神聖な樹です。
インドのブッダガヤにある原本の菩提樹は、紀元前6世紀以来、今も生き続けている(厳密には接ぎ木を経た子孫)と言われ、世界中の仏教徒の聖地になっています。
そしてスリランカにも、アヌラーダプラのジャヤ・スリ・マハー菩提樹が今も生きています。ブッダガヤの原本菩提樹の分け株として、紀元前288年に植えられた木で、2,300年以上の歴史を持つ世界最古の樹のひとつとして知られています。
4枚の葉=四無量心
4枚の菩提樹葉は、仏教の四無量心(ブラフマヴィハーラ)を表しています。
| 葉 | 仏教用語 | 意味 |
|---|---|---|
| 1 | メッター(Mettā) | 慈——すべての存在への友愛 |
| 2 | カルナー(Karuṇā) | 悲——苦しむものへの共感 |
| 3 | ムディター(Muditā) | 喜——他者の幸せを喜ぶ心 |
| 4 | ウペッカー(Upekkhā) | 捨——平静、執着のない心 |
仏教の精神的修練の核を、菩提樹の葉で表現する。スリランカが仏教を国教としていた歴史(テーラワーダ仏教の中心地)を、デザインで明示しているわけです。
2本の縦帯 ── 少数民族への配慮
国旗の左側にあるオレンジと緑の縦帯は、スリランカの少数民族を表しています。
多民族国家としてのスリランカ
スリランカの民族・宗教構成は、次のとおりです。
| 民族・宗教集団 | 人口割合 |
|---|---|
| シンハラ族(仏教徒) | 約75% |
| タミル族(ヒンドゥー教徒) | 約15%(スリランカ・タミル約11%+インド・タミル約4%の合計) |
| スリランカン・ムーア(イスラム教徒) | 約9% |
| その他 | 約1% |
シンハラ族が多数派だが、タミル・ムスリムの少数派もまとまった人口を持つ。これがスリランカの民族構成です。
1948年の最初の旗には少数派の色はなかった
1948年の独立時、最初の国旗はキャンディ王国のライオン旗のままで、少数民族の色は入っていませんでした。
これに対してタミル系・ムスリム系のコミュニティから「我々も国の一員だ」という主張があり、少数民族を表す色を旗に加えるべき、という議論が起こります。
1951年、2本の縦帯が追加
1951年3月2日、政府は少数民族を象徴する2本の縦帯を旗に追加しました。オレンジは南インド・タミルナドゥと文化的につながるヒンドゥー教徒のタミル系を、緑は中東との交易で渡来した子孫であるムスリム系を表します。
多数派のライオンに加えて、少数派の縦帯。多民族国家としての宣言でした。
国旗に少数民族の色を、はっきり別の帯として描く。これは世界の国旗のなかでも珍しい設計です。
1972年、現代版の確定
スリランカ国旗の現在のかたちが確定したのは、1972年5月22日です。
国名変更と新旗
1972年、スリランカは大きな転換を迎えました。国名を「セイロン(Ceylon)」から「スリランカ(Sri Lanka)」に変更します。これは「スリ(神聖な)」+「ランカ(島)」という、サンスクリット語由来の伝統名へ戻すものでした。同時に共和制に移行し(英連邦内のドミニオンから、完全な共和国へ)、新憲法を制定します。
そして新国旗デザインとして、基本デザインはそのまま(ライオン+剣+少数民族の縦帯)に、4隅のピナクル(pinnacles、塔状の尖塔や槍状の突起のような装飾で、1951年版の四隅を飾っていた要素)を、より写実的な菩提樹の葉(Bo leaves)に変更しました。
仏教国家としてのアイデンティティを、より明確に表現する。そういう意図でした。
設計者:ニッサンカ・ウィジェイヤラトナ
1972年版の設計責任者は、ニッサンカ・ウィジェイヤラトナ(Nissanka Wijeyeratne)です。文化省事務次官であり、国章国旗デザイン委員会委員長を務めました。
彼の指導下で、現代スリランカ国旗の精密なデザインが完成しました。
1983-2009年、内戦と国旗
スリランカの近現代史で避けて通れないのが、内戦です。
スリランカ内戦
1983年7月、シンハラ・タミル民族対立が爆発します。タミル・イーラム解放のトラ(LTTE、通称タミル・タイガー)による武装闘争が始まり、26年に及ぶ凄惨な内戦が続きました。
死者は推定8〜10万人以上、国土全域に被害がおよびました。両陣営とも人権侵害が指摘され、国際的にも複雑な政治対立となりました。
2009年、戦闘終結
2009年5月、政府軍がLTTE指導者を制圧し、内戦が終結します。ただし、対立の根本的な解決には至っていない、という見方が今も続いています。
内戦中も国旗は変わらず
26年の内戦のあいだも、スリランカ国旗は変更されませんでした。
多数派のライオンと少数派の縦帯を、ひとつの旗に描き続ける。1972年のこの理念を、政治的混乱の中も保ち続けた、というかたちです。
ただし、少数民族側からの「国旗自体が多数派優位」という批判も今も存在し、国家統合のシンボルとして十分に機能しているかは議論が続いています。
ちなみに:「セイロン」と「シナモン・紅茶」
スリランカは1972年まで「セイロン」と呼ばれていました。今でも「セイロン紅茶」「セイロン・シナモン」として、世界の食品市場で広く知られています。
セイロン紅茶は世界の紅茶生産でトップクラスです。セイロン・シナモンは本シナモン(Cinnamomum verum)で、一般的なシナモン(カシア)とは別種の、より上品な香りの本物のシナモンです。また、ルビーやサファイアの世界有数の宝石産出国でもあります(特にブルーサファイア)。
国名は変わったが、商品ブランドとして「セイロン」は今も世界で生きている。これもスリランカの面白い側面です。
まとめ:1枚の旗に、民族・宗教・歴史のすべて
今回のスリランカ国旗のまとめです。
- えんじ色背景に剣を持つ金色のライオン+4隅に菩提樹葉+金色の縁+旗竿側に緑・オレンジの縦帯
- 1972年5月22日採用(現行版)、国名「セイロン」→「スリランカ」と同時
- ライオン+剣=シンハラ族と王朝の主権(1815年に英国に奪われ、1948年独立で復活)
- えんじ色=シンハラ族
- オレンジ縦帯=タミル系(ヒンドゥー教徒)少数派
- 緑縦帯=ムスリム系少数派
- 4枚の菩提樹葉=仏教の四無量心(慈・悲・喜・捨)
- キャンディ王国(1469-1815)の旗が直接の祖先
- 1948年独立時はライオン旗のみ、1951年に少数民族の縦帯追加、1972年に菩提樹葉に変更
- 1983〜2009年のスリランカ内戦中も国旗は不変
- 1972年に「セイロン」から「スリランカ」(サンスクリット語「神聖な島」)に改名
世界でもっとも要素の多い国旗のひとつ。スリランカの旗は、民族・宗教・歴史・哲学を1枚に圧縮した、ものすごく密度の高いデザインです。