水色の地に、白く大きな五芒星。ソマリアの国旗です。シンプルな構成ですが、5つの星の先端それぞれに、ソマリ人が住む5つの地域が割り当てられているという、強烈な民族統一思想を持つ1枚です。そして水色は、国連が独立を支援してくれたことへの感謝の色だというのも、興味深い話です。今回はそんなソマリア国旗の話です。

政治的に繊細なトピックを含むため、当サイトの方針通り中立的・事実ベースで記述しています。


まずは構成のおさらい

ソマリア国旗の構成は、きわめてシンプルです。

  • 背景:水色(ライトブルー)
  • 中央:白い五芒星

たった2色、1つの星で、「世界でもっともシンプルな国旗のひとつ」と言えるレベルです。

色とシンボルの意味は、以下のとおりです。

  • 水色:空、平和、そして国連の支援への敬意
  • 白い星:「統一の星」(5つのソマリ人居住地域を表す)

シンプルさのなかに、強烈なメッセージがある、というのがソマリア国旗の本質です。


5つの先端 ── 5つの「ソマリ人の地」

ソマリア国旗の最大のポイントが、星の5つの先端それぞれに、ソマリ人が住む地域が割り当てられていることです。

ジブチの記事でも触れた大ソマリ思想、すなわち「ソマリ人が住む全地域を、ひとつの国家にまとめる」という民族主義思想が、ここでも中心にあります。

5つのソマリ人居住地域

星の先端地域現在の主権
1イタリア領ソマリランド(旧伊領、現在のソマリア南部)ソマリア連邦共和国
2ブリティッシュ・ソマリランド(旧英領、現在のソマリランド)独立宣言(1991年)、国際的に未承認
3ジブチ(旧フランス領)独立国家(1977年)
4エチオピアのオガデン地方エチオピア領
5ケニア北東部(NFD)ケニア領

この5つを全部、ソマリ人の国家に統合する。これが大ソマリの夢でした。

「大ソマリ」の現実

ただし、現実にはこの夢は実現しませんでした。ジブチは1977年に独立し、独立国としての歩みを選択しました。エチオピアのオガデンでは、1977〜1978年のオガデン戦争でソマリアが軍事侵攻したものの敗北します。ケニア北東部では、1960年代のシフタ戦争で武力衝突が起こりましたが、現在もケニア領のままです。ソマリランドは1991年に独立を宣言しましたが、国際社会から承認されていません。

理想の地図と、現実の国境は別物だった。これは、20世紀の民族主義運動の典型的な結末です。

それでも国旗の5つの星の先端は変わっていません。「過去の理想の記憶」として残されている、というのが現代ソマリアの状況です。


なぜ水色か ── 国連への感謝

ソマリア国旗の水色は、世界の国旗のなかでも珍しい色です。多くの青地国旗がダークブルー系であるのに対し、ソマリアは空色・ライトブルーで、国連旗の青と同じ色合いになっています。

これには明確な理由があります。1950年から1960年まで、ソマリアは国連信託統治領だったからです(信託統治の決定自体は1949年11月の国連総会決議によるものですが、実際の統治期間は1950年から始まりました)。

国連信託統治とは

第二次世界大戦後、国連は「植民地から独立へ向かう過渡期の地域」を国連の管理下に置く仕組み、すなわち国連信託統治を整備しました。

ソマリア(当時のイタリア領ソマリランド)は、1950年から1960年まで、国連の信託統治下に置かれました。実際の行政はイタリアに委託され、「ソマリア・イタリア信託統治領(AFIS)」と呼ばれました。植民地時代の終わりと、完全独立の間の10年間、というかたちです。

1954年、国連信託統治下で国旗制定

そして1954年10月12日、まだ完全独立前の信託統治期に、現在のソマリア国旗が制定されました。

「国連が独立に向けて支援してくれている。その感謝を、旗の色で表そう」

ということで、国連旗の青と同じライトブルーが採用されたわけです。

独立を支援してくれた国際機関へのオマージュを、国旗の色で示す。これは世界の国旗のなかでもなかなかユニークなアプローチです。


デザイナー:モハメド・アワレ・リバン

ソマリア国旗の設計者は、モハメド・アワレ・リバン(Mohammed Awale Liban)です。

どんな人物か

リバンはソマリ人の学者・知識人で、独立運動を主導した民族主義政党、ソマリ青年同盟(SYL)のメンバーでした。また、伝統的に文字を持たなかったソマリ語の文字化に関わった人物のひとりでもあります。

民族主義運動と知的活動の両方に関わった独立期の重要人物として、現在もソマリでは尊敬される存在です。

1954年のコンテスト

SYLが中心となって国旗デザインのコンテストが開催され、リバンの提案である「水色に白い五芒星」が選ばれました。

シンプルだが、強い民族意識を込めたデザイン。彼の提案は、大ソマリの夢を5つの星に込めるという発想において、革新的でした。


1960年7月1日、独立

ソマリア国旗が完全独立国家の旗になったのは、1960年7月1日のことです。

旧英領+旧伊領の合体

ソマリアは、2つの旧植民地が合体して独立しました。ブリティッシュ・ソマリランド(旧英領)が1960年6月26日に先行独立し、イタリアン・ソマリランド(旧伊領、国連信託統治下)が1960年7月1日に独立します。

そして1960年7月1日、両者が統合し、ソマリ共和国としてひとつの独立国家になりました。

異なる植民地経験を持つ2地域が、ソマリ民族としてひとつになる。これは大ソマリ思想の最初の成果でした。

国旗は、1954年の信託統治下で制定された旗をそのまま継続使用しました。白い星の意味は、新国家にもそのまま引き継がれたわけです。


1991年以降の苦難

ソマリアの現代史は、1991年以降、深刻な国家危機が続いています。

1991年、政府崩壊

1991年1月、シアード・バーレ大統領の独裁政権が崩壊し、ソマリア内戦が本格化しました。中央政府の機能は停止し、武装勢力同士の衝突が続きます。国連平和維持軍は派遣されたのち撤退し、1993年のモガディシュの戦いなどで多くの犠牲が出ました。この時期のソマリアは、「失敗国家」または「最も脆弱な国家」の代表例として国際的に認識されるようになります(近年は「脆弱国家/Fragile State」の表記が一般化しています)。

ソマリランドの独立宣言

1991年5月18日、ブリティッシュ・ソマリランド地域(旧英領)が独立を宣言し、ソマリランド共和国を名乗りました。1960年の合併前の旧英領部分が、独自国家として再独立したのです。独自の政府・国旗・通貨・パスポートを持ち、比較的安定した行政を維持していますが、国際的にはほぼ全く承認されていません。

自分から独立を宣言しているが、世界は認めていない国。この世界でも稀な状態が、30年以上続いています。

2012年、連邦政府成立

2012年8月、ソマリア連邦共和国として連邦政府が樹立され、正常な国家機能の回復に向けた長い道のりが始まりました。

ただし、アル=シャバブ(イスラム過激派)との戦いは現在も続いており、完全な安定にはまだ時間がかかる、というのが現状です。

国旗の継続

そんな激動のなか、ソマリア国旗(水色に白い五芒星)は1954年から変更されず、現在まで続いています。国家機能が崩壊しても、国旗は守られました。シンボルの継続性が、国民のアイデンティティを支えているのです。

国がほぼ消えていた時期も、旗は残っていた。これは、国旗が持つ象徴的な力の証明でもあります。


ちなみに:「ソマリランド」と「ソマリア」

「ソマリランド」と「ソマリア」は、とてもよく混同される名前ですが、現状は別の存在として扱われています。

ソマリア vs ソマリランド

ソマリア(連邦共和国)ソマリランド
首都モガディシュハルゲイサ
旧植民地旧伊領旧英領
国旗水色に白い星緑白赤にシャハーダ(イスラム信仰告白)と星
国際承認あり(国連加盟)ほぼなし
通貨ソマリア・シリングソマリランド・シリング(独自)

国連加盟国としては「ソマリア」ですが、実際には2つの実体が存在する、という、世界でも特殊な状況です。


まとめ:5つの星の先端と、国連への感謝

今回のソマリア国旗のまとめです。

  • 水色(ライトブルー)地に、白い大きな五芒星
  • 1954年10月12日採用(国連信託統治下/1950〜1960年)、1960年7月1日の独立後も変更なし
  • 設計はソマリ人学者モハメド・アワレ・リバン(Mohamed Awale Liban、ソマリ青年同盟SYLメンバー)
  • 水色は国連旗の青を参考にした、独立を支援した国連への感謝の色
  • 白い五芒星は「統一の星」、5つの先端はソマリ人居住5地域(ソマリア・ソマリランド・ジブチ・エチオピアのオガデン・ケニア北東部)
  • 大ソマリ思想を象徴するが、現実には実現していない
  • 1991年に中央政府が崩壊し失敗国家となるが、2012年に連邦政府が樹立
  • ソマリランドは1991年に独立宣言、しかし国際社会は未承認
  • 国家機能が崩壊した時期も、国旗は変更されず

5つの先端に、民族統一の夢が刻まれている。ソマリアの旗は、実現しなかった理想と、変わらず保たれたアイデンティティを、シンプルな星に込めた1枚です。