赤・白の横二色のなかに、三日月と5つの星。シンガポールの国旗です。シンプルなのに、5つの星に5つの理想が一対一で対応している、けっこう知性的な設計です。しかも、最初は「3つの星」だったのを、政治的な配慮で「5つ」に増やしたという設計の裏話があります。今回はそんなシンガポール国旗の話です。
まずは構成のおさらい
シンガポール国旗は、次の構成です。
- 上半分:赤
- 下半分:白
- 左上のカントン(赤い部分):白い三日月(開口部は星のほう、つまりフライ側を向く)と、5つの白い五芒星(三日月の右側に五角形に配置)
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 赤:世界的な同胞愛と平等
- 白:普遍的な純粋さと美徳
- 三日月:興隆する新興国家を象徴
- 5つの星:5つの国家理想(民主主義、平和、進歩、正義、平等)
5つの星はそれぞれ別々の理想を表しています。
| 星 | 理想 |
|---|---|
| 1 | 民主主義(Democracy) |
| 2 | 平和(Peace) |
| 3 | 進歩(Progress) |
| 4 | 正義(Justice) |
| 5 | 平等(Equality) |
5つの抽象的価値を、5つの星で具現化する。なかなかきれいな1対1の対応です。
設計者は、副首相トー・チンチェ
シンガポール国旗の設計は、副首相トー・チンチェ(Toh Chin Chye、1921-2012)が率いる政府委員会が手がけました。
トー・チンチェは、シンガポール独立期の中心人物のひとりです。人民行動党(PAP)の創設メンバーであり、初代副首相としてリー・クアンユーの右腕を務めました。後にシンガポール国立大学の副学長にもなっています。
国旗・国章・国歌というシンガポールのナショナル・シンボル3つすべてを設計したのが、このトーが率いる委員会でした。しかも2ヶ月で設計を完了させた、なかなかのスピード仕事です。
「3つの星」から「5つの星」へ ── 絶妙な設計の話
シンガポール国旗のいちばん面白い裏話が、最初の案は「3つの星」だったことです。
トー・チンチェの最初の構想
トーが最初に提案したのは、赤白の横二色に、中央に3つの星(民主・正義・平等)を配したデザインでした。これは、当時の政府の中心的な3つの理想を表したシンプルなものでした。
しかし2つの問題が
ところが、この3つの星案には2つの政治的な懸念が浮上します。
問題1:マラヤ共産党系の「3つの星」と紛らわしい
当時、シンガポールが属していた英領マラヤには、マラヤ共産党(MCP)という強力な反植民地・反政府勢力が存在していました。マラヤ非常事態(1948-1960)を引き起こした組織です。
そのMCPの軍事部門であるマラヤ人民抗日軍(MPAJA)の旗には、「3つの星」が描かれていました。この3つの星は、マレー人・中国系・インド系というマラヤ3大民族の団結を表すシンボルです。さらに当時は中国の五星紅旗など、共産主義運動のシンボルとして「複数の星」が広く使われていたこともあり、シンガポール国旗にも3つの星があると共産主義のシンボル群と混同される、という懸念が政府内から出ました(リー・クアンユー回顧録によれば、内閣は当初トーが提案した赤一色の地色も、共産主義の集結点を連想させるとして却下しています)。
問題2:マレー系・ムスリム住民への配慮
もう一つの問題は、人口構成にありました。
シンガポールは人口の約7割が中国系ですが、マレー系(イスラム教徒)住民もコミュニティとして存在し、しかも周囲のマレーシア・インドネシアはイスラム圏です。中国系国家のシンボルだけにすると、マレー系住民が排除されたと感じるおそれがありました。
シンガポールは「中国系国家」ではなく、すべての民族の国だというメッセージを、国旗で示す必要があったわけです。
解決策:三日月+5つの星
そこで委員会は、両方の問題を同時に解決する設計を編み出しました。ひとつは、イスラムの伝統的シンボルである三日月を追加して、マレー系・ムスリム住民へ配慮したこと。もうひとつは、星を3つから5つに増やして、MCPの3星旗と区別すると同時に、5つの理想を表現したことです。
マレー系には三日月で「あなたも国の一員です」というメッセージを伝え、共産党とは星の数で差別化し、しかも5つの理想という意味を持たせる。ものすごく考え抜かれた設計です。
1つの旗で、いくつもの政治課題を同時に解決する。シンガポール独特の実利的・合理的なセンスが、国旗デザインにも表れている例です。
1959年、自治政府発足から半年後に正式披露
シンガポール国旗が正式に公開・掲揚されたのは、1959年12月3日でした。
当時のシンガポールの状況
当時のシンガポールの歩みを振り返ると、まず1819年にトマス・ラッフルズによりイギリス植民地化されます。1942年から1945年には日本軍に占領され、昭南島と改名されました。そして1959年5月、イギリス連邦内の自治領として総選挙が行われ、PAPが圧勝します。1959年6月3日に自治政府が発足し、リー・クアンユーが初代首相に就任しました。さらに1959年12月3日、ナショナル・ロイヤリティ・ウィーク初日に、新元首ユソフ・ビン・イシャクの就任式とともに国旗・国章・国歌が公式に披露されたのです。
「自治政府の発足」とは、外交と国防はイギリス連邦に頼りつつ、内政は完全に自治する段階のことです。完全独立ではないものの、シンガポール人が自分たちの政府を持つ最初の瞬間でした。
そして自治政府発足から約半年後、初代ヤン・ディ・プルトゥアン・ヌガラ(元首)ユソフ・ビン・イシャクの就任とともに、国旗・国章・国歌の3つのナショナル・シンボルが同時にお披露目されます。午前11時20分、首都のパダンに集まった25,000人の市民が国歌「マジュラ・シンガプーラ」のもとで国旗の初掲揚を見守った、という歴史的瞬間でした。
ユソフ・イシャクはマレー系・ムスリムの初代元首であり、国旗の三日月に込めた「マレー系への配慮」が、まさに体現されていました。
ちなみに現在のシンガポール紙幣にはユソフ・イシャクの肖像が描かれており、シンガポールの国父のひとりとして尊敬を集めています。
1965年8月9日、「追放」されて独立した国
シンガポールは、世界でも珍しい「追放されて独立した」国です。
マレーシア連邦の一員に(1963年)
シンガポールは1963年9月16日、マレーシア連邦に加盟します。マレー本土・サバ州・サラワク州・シンガポールで構成される連邦の一州になりました。
その背景には、シンガポール単独では生き残れないという当時の判断がありました。水資源も食料もマレー本土に依存しており、独立国としてやっていくのは難しいと考えられていたのです。
1965年、追放
ところが、わずか2年弱でマレーシアとの関係は破綻します。シンガポールのリー・クアンユー首相がマレーシア政府と対立する政治的緊張があり、マレー系優遇政策への反発という民族問題もありました。さらに1964年の人種暴動でシンガポールは大混乱に陥ります。
そして1965年8月9日、マレーシア国会が満場一致でシンガポールの連邦離脱を決議し、シンガポールは追放される形で独立することになりました。
リー・クアンユーの涙
その日、リー・クアンユー首相がテレビ演説で涙を流したことが、シンガポール史で最も有名な瞬間として語り継がれています。「私の人生で、これほど苦しい瞬間はない。私の信念は、ひとつのマレーシアでした」と彼は語りました。
国民全員が涙した日。シンガポールでは、毎年8月9日がナショナル・デー(国民の日)として祝われています。
国旗はそのまま
そして驚くべきことに、マレーシアからの独立にあたって、国旗は変更されませんでした。
1959年に自治政府発足時に作られた赤白に三日月と5星の旗が、そのまま独立国シンガポールの旗として継続します。この旗のデザインそのものが、シンガポール独立を象徴する大きな意味を持つことになります。
三日月の向きにも意味
シンガポール国旗をよく見ると、三日月の開口部(凹んでいる部分)が、星のほう(右側)を向いていることに気づきます。
これは、三日月の凹みが星を抱きしめるような構図であり、興隆する若い国家(三日月)が、5つの理想(星)を目指して進むというメッセージを表しています。
三日月と星の位置関係も、デザインの意味の一部。これがシンガポール国旗の細かなこだわりです。
ちなみに:「赤白=同じ高さ」の意味
シンガポール国旗は、赤と白の帯が完全に同じ幅(1:1)です。これも実は意味があります。赤は民族や階級を超えた同胞愛を、白は普遍的な徳と純粋さを表します。
両者が同じ価値、同じ重みであるという、シンガポールの多民族多文化主義を、比率そのものでも表現しているわけです。
何ひとつ意味のない部分がない。シンガポール国旗は隅々まで考え抜かれた設計です。
まとめ:3つから5つへ、絶妙な政治的設計
今回のシンガポール国旗のまとめです。
- 赤・白の横二色に、左上のカントンに白い三日月と5つの白い星(五角形配置)
- 1959年6月3日に自治政府発足(リー・クアンユー初代首相)、同年12月3日に新元首ユソフ・ビン・イシャク就任式で国旗・国章・国歌を公式披露
- 設計はトー・チンチェ副首相率いる政府委員会、2ヶ月で完成
- 赤は同胞愛と平等、白は純粋さと美徳、三日月は興隆する若い国家、5つの星は民主・平和・進歩・正義・平等
- 当初は3つの星案だったが、(1) マラヤ共産党系(MPAJA)の3星旗や中国五星紅旗など共産主義シンボル群との差別化、(2) マレー系・ムスリム住民への配慮、のため三日月と5つの星に修正
- 1959年に自治政府、1963年にマレーシア連邦加盟、1965年8月9日に「追放される形」で独立
- 独立後も国旗は変更なし、リー・クアンユーの涙の演説と同じ日に国旗のもとで歴史が始まった
1つの旗で、複数の政治的課題を同時に解決した。シンガポールの国旗は、国家の合理性と理想主義が見事に同居した、世界の国旗デザインの教科書のような1枚です。