緑・白・青の横三色。シエラレオネの国旗です。シンプルな3色構成で、見た目はおだやか。でも国名「シエラレオネ」は獅子山脈を意味するという、ちょっとロマンチックな由来があります。そして青は、解放奴隷の街として作られた首都フリータウンの港の象徴です。今回はそんなシエラレオネ国旗の話です。
まずは構成のおさらい
シエラレオネ国旗は、シンプルそのものです。
- 上:緑
- 中:白
- 下:青
均等幅の横三色で、文字も模様もありません。
色の意味は、次のとおりです。
- 緑:山岳と農業、天然資源
- 白:団結と正義
- 青:フリータウンの天然の良港と、世界平和への希望
山と平和と海。シエラレオネという国の本質を、3つの色で簡潔に表現したデザインです。
「シエラレオネ」=獅子山脈
国旗の物語の前に、まず国名の由来から見ていきます。
シエラレオネ(Sierra Leone)というのは、ポルトガル語で「獅子山脈(Lion Mountains)」を意味します。シエラ(Serra)が山脈、レオネ(Leone)が獅子(ライオン)です。
名付けの瞬間
1462年、ポルトガルの探検家ペドロ・デ・シントラ(Pedro de Sintra)が、西アフリカの海岸沿いを航海中、現在のフリータウンのあたりで険しい山脈を目にしました。
そのとき彼は「あの山々の上から、ライオンが吠えるような音が聞こえる」と書き残しました。それで山脈を「獅子山脈(Sierra Leoa、Sierra Leoneとも書かれた)」と命名し、それがそのまま地域全体の名前として定着していった、というわけです。
「ライオンの音」は本当だったか
実はこの「ライオンの音」が何だったのかについては、諸説あります。
ひとつは、本当にライオンの咆哮だったという説です。現在のシエラレオネでは野生のライオンを見かけることはほとんどなくなりましたが(西アフリカライオンは絶滅危惧種で、北西部のアウトゥンバ・キリミ国立公園にごく少数の生息報告があります)、当時はもっと広く存在した可能性があります。次に、雷鳴だったという説もあります。山脈に当たる激しい雷の音が、ライオンの声に聞こえたという解釈です。さらに、山脈の形がライオンに似ていたという説もあり、音ではなく、山々のシルエットがライオンが寝そべる形に見えたとも言われます。
どれが正解かは諸説ありますが、シントラがそう感じて記録し、その記録が世界に伝わったことは事実です。500年以上たった今も、国名として残っている。歴史の偶然と必然が交差する話です。
フリータウン ── 解放奴隷の街
シエラレオネ国旗の青の意味を理解するには、首都フリータウンの歴史を知る必要があります。
1787年、解放奴隷の入植地
1787年5月、イギリスがシエラレオネ半島の北西端に、解放奴隷の入植地を建設しました。これが現在のフリータウンの始まりです。
最初に到着したのは、解放されたイギリスの黒人約400人と、売春婦や貧困層を中心とする白人女性約60人、そしてその他の人々でした。
この400人ほどの最初の入植者は、マラリアや気候への適応、食糧不足でほとんどが亡くなります。しかしその後も、移住は続きました。1792年には、アメリカ独立戦争で英国側についた解放奴隷であるノバスコシア解放奴隷約1,200人がカナダから移住します。1800年には、ジャマイカの逃亡奴隷集団であるマルーン約550人がジャマイカから移住しました。さらに1808年以降は、英国海軍が西アフリカ沿岸で奴隷船から救出した解放奴隷、約94,000人が最終的に定住します。
こうしてフリータウンは、世界中の解放奴隷が集まる街という特殊な性格を持つ街として成長していきました。
「フリータウン」という名前
フリータウンは、「Free(自由な)」と「Town(街)」を組み合わせた、解放された人々の街を意味するまっすぐな名前です。奴隷ではなく、自由な人間として暮らせる街という設立の理念が、そのまま地名になりました。
国旗の青が表す「フリータウンの天然の良港」は、単に港の青さではなく、世界中の海を渡って自由を求めてきた人々を迎え入れた港、という重層的な意味を持っています。
1961年独立、ロンドン紋章院の設計
シエラレオネ国旗が制定されたのは、1961年4月27日、イギリスからの独立の日でした。真夜中に新国旗が初めて掲げられました。
設計者
シエラレオネ国旗を設計したのは、ロンドンの紋章院(College of Arms)です。個人の設計者がいない、ちょっと珍しいパターンです。
経緯はこうです。1960年、独立を控えたシエラレオネ政府は、ロンドンの紋章院に新しい国章の設計を依頼しました。紋章院が設計した国章には、緑のライオン、青の波(フリータウンの港)、白の背景などが使われます。そして、その国章の主要色である緑・白・青を、そのまま国旗の3色に採用したのです。
先に国章をデザインして、その色から国旗を作るというのは、英連邦の独立国によく見られるパターンです(フィジー、マラウイなどでも見られた手法です)。
国章のなかのライオン
シエラレオネの国章を見ると、中央に緑のライオンが描かれています。国名「獅子山脈」の象徴としてです。
500年前にシントラが聞いた「ライオンの音」が、国章のなかにいまも生きている。歴史と現代がつながる構図です。
内戦を超えて、変わらなかった旗
シエラレオネは独立後、深刻な内戦を経験しました。
1991-2002年、シエラレオネ内戦
1991年3月、革命統一戦線(RUF)が政府打倒を目指して武装蜂起し、11年に及ぶ凄惨な内戦が始まります。
この内戦では、1万人以上の子供が戦闘員にされる強制少年兵の問題や、政治的恐怖の手段として民間人の手足を切断する行為が横行しました。さらに、ダイヤモンド取引が戦争の資金源となるブラッドダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)の問題も深刻でした。
これは2006年の映画『ブラッド・ダイヤモンド』(レオナルド・ディカプリオ主演)で世界に広く知られるようになった、21世紀初頭の最も悲惨な内戦のひとつでした。
2002年、内戦終結
2002年1月、内戦が公式に終結します。国連平和維持軍(UNAMSIL)の介入も含めた11年の戦いに、ようやく終止符が打たれました。
そして驚くべきは、この11年間の内戦のあいだも、シエラレオネ国旗が変わらなかったことです。政府も反政府勢力も、同じ国旗を掲げて戦いました(反政府側は別の旗を使いませんでした)。国民は「シエラレオネ人」としての同じアイデンティティを保ち続けたのです。
戦争で旗が変わる国も多いなかで、シエラレオネは変えなかった。これは国家としての連続性を、内戦の最中も保ち続けたという見方ができます。
そして現在のシエラレオネは、内戦から復興し、民主主義が機能して平和を取り戻した国として、アフリカの希望のひとつになっています。
ちなみに:「奴隷貿易の名残」と「奴隷からの自由」
シエラレオネは、奴隷貿易の歴史を最も色濃く残す国のひとつでもあります。
奴隷貿易の積出港だった
15世紀から19世紀にかけて、シエラレオネ半島の港(特にブンス島)は、西アフリカで最大級の奴隷貿易の積出地でした。何百万人もの黒人が、ここから北米・カリブ・南米に強制連行された場所です。
そして「自由の街」になった
奴隷貿易の積出地だった土地が、解放奴隷の入植地になった。残酷な歴史と希望の歴史が同じ地理に重なる、世界的にも稀な場所です。
奴隷から自由へ。国名のロマンチックな由来とは対照的に、シエラレオネの歴史は重い。国旗の青が表す「フリータウンの港」には、こうした両面の歴史が込められていると読むと、3色の意味がより深く感じられます。
まとめ:山と海と平和、500年の歴史を背負う3色
今回のシエラレオネ国旗のまとめです。
- 緑・白・青の横三色
- 1961年4月27日採用、イギリスからの独立日の真夜中
- 設計はロンドンの紋章院、国章の主要色から3色を採用
- 緑は山岳・農業、白は団結と正義、青はフリータウンの港・世界平和への希望
- 国名「シエラレオネ」は1462年にポルトガル人ペドロ・デ・シントラが命名、「獅子山脈」の意味
- 「ライオンの音」の正体は諸説あり(実際のライオン、雷鳴、山のシルエットなど)
- フリータウンは1787年に解放奴隷の入植地として建設
- 19世紀には世界中の解放奴隷が集まる街として成長
- 1991-2002年の凄惨な内戦(ブラッドダイヤモンド、少年兵問題)を経ても国旗は変わらず
- 国家としての連続性を、戦争の最中も保ち続けた
シンプルな3色のなかに、500年の歴史と、奴隷から自由への長い旅が刻まれている。シエラレオネの旗は、穏やかな見た目とは裏腹に、深い物語を背負う1枚です。