赤・青・白の横三色のなかに、赤い盾と白い双頭の鷲。セルビアの国旗です。ロシア国旗を反転させた汎スラブ三色で、それは1804年のオスマン帝国に対する蜂起の時から続く色です。そして紋章のなかの4つの「С」は、有名なセルビアのモットー「団結のみがセルビア人を救う」を表しているというのが、今回のテーマです。
まずは構成のおさらい
セルビア国旗の構成は、次のとおりです。
- 横3本の帯(上から):赤・青・白
- 旗竿側寄り:セルビア国章(赤い盾の中央に白い双頭の鷲、鷲の胸に小さな盾(赤地に白い十字+4つのオチラ)、上に王冠)
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 赤・青・白:汎スラブ色、スラブ民族の連帯
- 双頭の鷲:ビザンチン帝国由来、セルビア中世王朝の継承
- 白い十字+4つのオチラ:セルビア正教会
- 王冠:王朝の継続性
ロシアと同じ汎スラブ色に、セルビア独自の紋章を組み合わせた構造です。
1804年、オスマン帝国に対する蜂起から
セルビア国旗の3色の起源は、1804年の第一次セルビア蜂起にさかのぼります。
オスマン支配からの解放
セルビアは、1389年のコソボの戦いでオスマン帝国に敗北して以降、400年以上オスマン支配下にありました。
1804年、カラジョルジェ・ペトロヴィッチ(黒いジョルジェ、後のカラジョルジェヴィッチ朝の祖)が指導して蜂起します。武装蜂起によってベオグラードを解放し、セルビア人として久しぶりの自治を勝ち取りました。
そしてカラジョルジェは、ロシア国旗(上から白・青・赤)の上下を逆さにして、赤・青・白を新生セルビアの色にしました(使節団がロシアに旗の使用を願ったが、そのままは使えないので「ひっくり返して使う」と決めた、という伝承があります)。同盟国ロシアが白・青・赤、セルビアは赤・青・白というわけです。
ロシアに似ているが、上下を逆にして独自性を出す。汎スラブの連帯と、セルビア独自のアイデンティティを両立させた選択でした。
第一次蜂起の挫折と再起
第一次蜂起は1813年にオスマン軍に再制圧されますが、1815年の第二次蜂起でミロシュ・オブレノヴィッチ(後のオブレノヴィッチ朝の祖)が指導者となり、自治を回復。1882年、セルビアは王国として国際承認を得ます。
100年以上前の蜂起の色が、現代の国旗に生きている。これが、セルビア国旗の長い系譜です。
双頭の鷲 ── ビザンチンの遺産
国章の中央にある白い双頭の鷲は、東方のキリスト教王朝が広く受け継いできたシンボルです。
ビザンチン帝国の鷲
双頭の鷲は、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の皇家の紋章でした。2つの頭は東西世界の同時統治を象徴し、西の頭はローマ帝国の正統性を、東の頭はコンスタンティノープルからの東方支配を表します。
14世紀、ネマニッチ朝が継承
1346年、セルビア王ステファン・ドゥシャンが「ローマ人とセルビア人の皇帝」を宣言。その時、ビザンチン帝国の双頭の鷲をセルビア王家の紋章として採用しました。
ビザンチンの後継者を自認するというセルビアの中世王朝の意識が、双頭の鷲に表れているわけです。
他の双頭の鷲国
同じ双頭の鷲を国章に持つ国としては、ロシア(ロマノフ朝から現代ロシアへ)、アルバニア(スカンデルベグの家紋)、モンテネグロ(セルビアと同じ系譜)、ドイツ(神聖ローマ帝国、現代は単頭)などがあります。
東西キリスト教世界の継承者たちが共有するシンボルとして、ビザンチン由来の鷲がヨーロッパ各地に広がっています。
「С С С С」 ── セルビア最有名のモットー
国章の中央の小さな盾には、白い十字と、4つのオチラ(火打ち石器)が描かれています。
4つのオチラ=4つの「С」
このオチラの形は、キリル文字の「С」(ラテン文字のSに相当)にそっくりです。4つのСで「С С С С」となります。
これがセルビア最有名のモットー、「Само Слога Србина Спасава」(Samo Sloga Srbina Spasava、サモ・スロガ・スルビナ・スパサヴァ)、すなわち「団結のみが、セルビア人を救う」です。
4つの単語の頭文字「С」が、4つのオチラと対応しているというデザインです。
モットーの起源
このフレーズは、14世紀の聖サヴァ(セルビア正教会の創設者)の言葉「セルビア人は団結すれば負けない」から派生した、と言われています。
ただし紋章学的には、元々の「4つのオチラ」シンボルはビザンチン帝国のパレオロゴス朝の紋章(4つの「B」/ベータの文字)に由来する形だった、というのが学術的な通説です。「形がキリル文字Сに似ている」ことから後にモットーと結びつけられたというのが歴史的経緯です(諸説あり)。
民族の団結こそが、生存の鍵。これがセルビア人の核心的な精神です。オスマン帝国400年の支配下でも民族意識を保ち続け、20世紀の戦争・国境変更を生き抜いてきました。現在も、コソボ問題などで「セルビア人の団結」が課題となっています。
国旗の中の4つの文字が、民族の生存の指針になっている。すごく重い意味です。
視覚的な認識
ちなみに4つのオチラの形は、抽象化された火打ち石器として紋章学的にデザインされたものです。「С」と読めますが、現代では装飾的シンボルとしての側面も強くなっています。クロスと4つのオチラを合わせた「セルビアン・クロス」として、セルビア正教会の象徴になっています。
ユーゴスラビア、そして現代へ
セルビア国旗の20世紀以降は、激動の連続でした。
1918年、第一次世界大戦終結とユーゴスラビア成立
1918年12月1日、後のユーゴスラビア王国となる「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」が成立。セルビアの国旗は、王国旗の中核に組み込まれる形になりました。
1929-1992年、複雑なユーゴ時代
1929年、アレクサンダル1世が国名を「ユーゴスラビア王国」に変更。1941年から1945年にかけて、第二次世界大戦でナチス・ドイツに侵攻されます。1945年にはヨシップ・ブロズ・チトー率いる共産党がユーゴスラビア社会主義連邦共和国を樹立しました。1980年、チトーが死去するとユーゴは徐々に崩壊へ向かい、1991年から2001年にかけてのユーゴスラビア解体で、スロベニア・クロアチア・北マケドニア・ボスニア・ヘルツェゴビナ・コソボが次々に離脱していきます。
1992-2003年、セルビア・モンテネグロ連合
セルビアはモンテネグロとともに、ユーゴスラビアの「継承国」となります。1992年に「ユーゴスラビア連邦共和国」(セルビアとモンテネグロのみ)となり、2003年に「セルビア・モンテネグロ」に改称しました。
2006年、モンテネグロが独立
2006年5月21日のモンテネグロ住民投票で、独立支持が55.5%(必要過半数55%をギリギリ超え)となりました。6月3日、モンテネグロが独立を宣言し、セルビアは単独国家になりました。
2008年、コソボ独立宣言
2008年2月17日、コソボが一方的に独立を宣言。セルビア政府は今も承認していないという現状です。
1990年代から、セルビアは何度も国の枠組みが変わってきた。その激動を経て、現在の国旗(2004年採択)が確立した、という流れです。
2004年・2010年の国旗確定
セルビア国旗の現在の形は、次のように確定しました。2004年8月17日に「赤・青・白+国章」のデザインを正式採択し、2010年に法律で標準化、サイズと紋章の細部を明文化しました。
21世紀になってからの国旗というのは、世界の国旗のなかでも比較的新しい部類です。1804年の3色を残しながら、紋章だけ現代の国家にあわせて更新するという、伝統と現代の両立を意図したデザインです。
ちなみに:3つのセルビア国旗
セルビアには、3種類の公式国旗があります。
| 種類 | 用途 | 紋章 |
|---|---|---|
| 国家旗 | 政府機関・公的場 | 国章あり |
| 国旗(民間用) | 一般市民・建物 | 国章なし(3色のみ) |
| 海上旗 | 船舶 | 専用版 |
民間人が掲げる旗には紋章がないというのは、セルビア・モンテネグロ・クロアチアなど、旧ユーゴ諸国に共通の伝統です。
まとめ:1804年の3色と、双頭の鷲、4つの「С」
今回のセルビア国旗のまとめです。
- 赤・青・白の汎スラブ三色(横)+旗竿側寄りに国章
- 2004年8月17日採択、2010年法律で標準化
- 3色は1804年第一次セルビア蜂起時、ロシア国旗の順序を反転して採用
- 双頭の鷲はビザンチン帝国由来、14世紀ネマニッチ朝が継承
- 4つのオチラ(火打ち石器)はキリル文字「С」を表す
- 4つの「С」は「Само Слога Србина Спасава(団結のみがセルビア人を救う)」のモットー
- セルビアン・クロス(十字+4オチラ)はセルビア正教会の象徴
- 1918年セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国からユーゴスラビアへ
- 1991〜2001年ユーゴ解体、2006年モンテネグロ独立、2008年コソボ独立宣言(未承認)
- 現代セルビア国旗は2004年確定の比較的新しいデザイン
- 民間用には紋章なしの3色のみのバージョンあり
400年のオスマン支配を生き抜いた民族の、団結のシンボル。セルビアの旗は、長い歴史と現代の苦難を、双頭の鷲と4つの「С」に込めた1枚です。