白と緑の横2分割、紋章には黒と金の縞に斜めの緑の帯。ザクセンの旗、ドイツ東部、ドレスデンとライプツィヒの自由州の旗です。この緑の帯は、王冠のように見えて、実はヘンルーダというハーブの輪。皇帝が日よけの冠を盾にかけた、という伝説から生まれた1枚です。今回はそんなザクセンの旗の話です。
まずは構成のおさらい
ザクセン旗の構成は、次のとおりです。
- 市民旗:白(上)と緑(下)の横2分割
- 州旗:中央にザクセンの紋章
紋章のシンボルは、以下のとおりです。
- 黒と金の横縞:ザクセンの古い紋章
- 斜めの緑の帯(ラウテンクランツ):ヘンルーダ(ルー)の輪で、王冠ではない
白と緑、そして黒金の縞に緑の斜め帯という、ドイツの自由州の旗です。
「王冠に見えて、実はハーブ」
ザクセン旗の、最も面白いポイントを見ていきます。
緑の帯はヘンルーダ
紋章の斜めの緑の帯は、ラウテンクランツ(Rautenkranz)と呼ばれます。王冠のように見えますが、実はヘンルーダ(ルー)というハーブを束ねた輪です。古代ローマでは、ヘンルーダは神殿の周りに植えられ、神聖な植物とされていました。
バルバロッサの伝説
その由来には、皇帝の伝説があります。ベルンハルト公が、皇帝バルバロッサの前で黒と金の縞の盾を掲げて進んだとき、皇帝が日よけにかぶっていたヘンルーダの冠を頭から取り、その盾にかけたといいます。こうして緑のラウテンクランツが生まれた、という伝説です(諸説あり)。
皇帝が日よけの冠を盾にかけた。それが緑の帯の始まりという、ロマンある物語です。
「ヴェッティン家」 ── 縞模様の王家
ザクセン旗の歴史を見ていきます。
アスカーニエン家からヴェッティン家へ
黒と金の縞は、アスカーニエン家(ザクセン公)に由来します。1422年にアスカーニエン家が断絶し、翌1423年にヴェッティン家が正式に受け継ぎました。緑のラウテンクランツも、もとはアスカーニエン家の紋章にあったものです。ヴェッティン家が新たに加えたのではなく、縞ごと丸ごと受け継ぎました。
ヨーロッパに広がった王家
ヴェッティン家は、有名な王家です。後のザクセン=コーブルク家として、イギリス・ベルギー・ポルトガル・ブルガリアなどの王室にもつながっていきます。
バイエルンのヴィッテルスバッハ家と並ぶ、ドイツの名門王家ヴェッティン家の色。それが、ザクセンの旗の背景です。
「平和革命の旗」
ザクセン旗の、現代の意味を見ていきます。
1989年の月曜デモ
現在のデザインは1815年、ザクセン王国のために生まれました。その後、ナチス時代の1935年に抑圧されます。やがて1989〜90年、東ドイツの平和革命(ライプツィヒの月曜デモなど)で、ザクセンのアイデンティティの象徴として再び掲げられました。そして1990年10月3日のドイツ再統一とともに、正式に復活します。
ベルリンの壁の崩壊につながった平和革命の地で、この旗が再び翻った。そんな現代史の重みを持つ1枚です。
ザクセンという地域
ザクセンの基本情報です。
- 正式名:ザクセン自由州(Freistaat Sachsen)
- 州都:ドレスデン(Dresden)
- 面積:約1.8万km²
- 人口:約400万人
- 公用語:ドイツ語
- 法的地位:ドイツの州(自由州)
「文化と陶磁器の地」
ザクセンは、文化と陶磁器の地としても知られます。ドレスデンのフラウエン教会、そしてマイセン磁器(ヨーロッパ初の磁器)があります。また、ライプツィヒはバッハが活躍した音楽の街です。
まとめ:王冠に見えるハーブの輪、ザクセン
今回のザクセン旗のまとめです。
- 市民旗は白(上)と緑(下)の横2分割、州旗は中央にザクセンの紋章
- 紋章は黒と金の横縞+斜めの緑の帯(ラウテンクランツ)
- 緑の帯は王冠に見えるが、実はヘンルーダ(ルー)というハーブの輪(古代ローマで神聖とされた)
- 伝説:皇帝バルバロッサが日よけのヘンルーダの冠を、ベルンハルト公の盾にかけて生まれた(諸説あり)
- 黒と金の縞はアスカーニエン家に由来、1422年の断絶後(正式叙任は1423年)ヴェッティン家が継承
- ヴェッティン家はアスカーニエン家の紋章(黒金の縞+ラウテンクランツ)をそのまま受け継ぎ、後にイギリス等の王室にもつながる名門に
- 現デザインは1815年ザクセン王国のため、ナチス時代に抑圧
- 1989〜90年の東ドイツ平和革命(ライプツィヒの月曜デモ)で再び掲げられ、1990年の再統一で正式復活
- 州都ドレスデン(フラウエン教会)、マイセン磁器、ライプツィヒ(バッハ)
- ドイツの自由州、面積約1.8万km²、人口約400万人
王冠に見えて、実はハーブの輪。ザクセンの旗は、皇帝の伝説と名門王家の歴史、そして平和革命の記憶を背負った1枚です。