緑地に白いアラビア書道、そして剣。サウジアラビアの国旗です。文字(書道)が国旗の中心にあり、半旗にしてはいけない、Tシャツやサッカーボールにも使えないという、世界の国旗のなかでもっとも特殊なルールを持つ1枚。なぜここまで「特別」なのか。今回はそんなサウジアラビア国旗の話です。
まずは構成のおさらい
サウジアラビアの国旗は、いたってシンプルです。背景は緑(ムハンマドの好んだ色とされる、イスラムの伝統色)、中央に白いアラビア書道(スルス書体、シャハーダ)、その下に水平の白い剣(刃が旗竿側を向く)が描かれています。
色とシンボルの意味は、次のとおりです。
- 緑:イスラム、預言者ムハンマド
- 白い文字(シャハーダ):イスラム教の信仰告白そのもの
- 白い剣:イスラム法と正義、サウード王家の象徴
白の文字、白の剣、緑の地。たった2色のシンプルな配色のなかに、国の宗教的アイデンティティが完全に集約されています。
「シャハーダ」── イスラムの信仰告白
国旗の中央に書かれているアラビア語、これがサウジアラビアの本質です。
書かれている内容は、次のとおりです。
لَا إِلٰهَ إِلَّا اللهُ مُحَمَّدٌ رَسُولُ اللهِ
「アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」
これがシャハーダ(Shahada)、イスラム教の五行(信仰の5本柱)の第一の柱です。「これを心から唱えれば、ムスリム(イスラム教徒)になる」ともされる、最も神聖な文言です。
世界の20億人以上のムスリムが毎日の礼拝で唱える言葉が、そのまま国の旗に書かれている。宗教そのものが国の象徴であるということを、文字どおりに表現しているわけです。
書体はスルス書体(Thuluth)、10世紀ごろにイラクで完成した、もっとも美しいとされるアラビア書道のスタイルです。曲線と直線が巧みに組み合わさり、装飾性が高い。文字そのものが芸術であり、宗教の象徴であるというイスラム文化の伝統が、このデザインに表れています。
なぜ緑か——預言者ムハンマドの色
サウジアラビア国旗の緑色にも、深い意味があります。
預言者ムハンマド(570頃-632)が生涯で好んだ色は緑だったと伝えられています。緑のターバン、緑のローブを身につけていたというハディース(預言者の言行録)の記述が複数あり、緑はイスラムの聖なる色として、ムスリム世界全体に共有されてきました。
その伝統を受けて、ムスリム同胞団の旗、ハマスの旗、リビアのガダフィ時代の旗(緑単色)、トルクメニスタンの旗、パキスタンの旗など、ムスリム諸国の旗の多くに緑が使われているわけです。
そのなかでもサウジアラビアの緑は、イスラム発祥の地であるメッカとメディナを擁する国としての、特別な重みを持っています。
剣——サウード王家のシンボル
国旗の下部に水平に描かれた剣が追加されたのは、1921年のことです。
サウジアラビアの建国の父、アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード(Abdulaziz ibn Abdulrahman Al Saud、1875-1953)が、サウード家の旗に剣を加える決定を下しました。
剣の意味
剣は、イスラム法(シャリーア)の執行、正義の遂行、そしてサウード王家による国の防衛を意味します。
剣がシャハーダを下から支えるという構図は、サウード王家がイスラムの守り手であるという、国の根本構造そのものを象徴しています。
1973年、正式デザインへ
1921年以降も細部のデザインにはばらつきがありましたが、1973年3月15日、ファイサル国王の決定で現在の標準デザインが確定しました。シャハーダの文字を少し小さくし、剣をまっすぐな形にして、両側のバランスを整えたものです。
これが今のサウジアラビア国旗で、約50年間ほぼ変更されていません。
世界でも特異な「半旗禁止」
サウジアラビア国旗には、他のほぼすべての国旗にはない特殊なルールがあります。半旗(half-mast)にしてはいけない、というルールです。
普通の国の半旗
世界の多くの国では、国家の元首が亡くなった時や国家的悲劇が起きた時、国旗をポールの半分の高さに下げる「半旗」にして喪に服します。日本でも昭和天皇崩御時などに見られた風景です。
サウジアラビアの場合
サウジアラビア国旗を半分の高さに下げると、シャハーダ(信仰告白)も下に下がることになります。これがイスラム教における冒涜行為とみなされるのです。
神の言葉と預言者の名は、決して「下げて」はならない
このため、サウジアラビアでは国王が崩御しても、国旗は常にポールの頂上に掲げられたままです。喪の表現は、祈りや国家行事の中止など、別の方法で行われます。
同様の理由で、アフガニスタン(タリバン旗にもシャハーダがあるため)、ソマリランド(旗にシャハーダ)、イラク(旗に「アッラー・アクバル」のタクビールがあるため)の旗も、半旗にされません。文字が神聖だから下げられないというのは、世界の旗の世界ではかなり特殊なルールです。
「サッカーボールに描けない」事件
もうひとつ、サウジアラビア国旗の特殊な扱いを示す有名なエピソードがあります。
2002年、FIFAがワールドカップ日韓大会の記念サッカーボールを企画しました。32の参加国の国旗をボール表面に印刷するデザインでした。
ところが、サウジアラビア政府が強く抗議します。
シャハーダ(神の言葉)が、サッカーボールで蹴られたり、地面に転がされたりするのは、宗教的冒涜です
サウジ政府は、シャハーダを尊重する義務がムスリムにあるため、ボールへの印刷は許可できないと主張しました。FIFAは最終的にこのデザイン案を中止し、別の意匠に変更しました。
同じ理由で、サウジアラビア国旗はTシャツやパーカーなどの衣類には印刷できません(汚れたり、ゴミになったりする可能性があるためです)。使い捨ての記念品にも使えません。古くなった国旗は、聖句が冒涜されないよう、文字が判別できなくなるまで裁断するか、焼却・埋葬・水中投下など、尊厳を持った方法で処分します(サウジアラビアファトワ常任委員会の見解に基づくものです)。
国旗そのものが神聖な宗教的物品であるという扱いを受けているのは、世界でもサウジアラビアくらいです。
両面が「鏡像」── アラビア語の特殊事情
サウジアラビア国旗のもうひとつのユニークな特徴は、両面で別々にデザインされていることです。
普通の国旗は、裏側が表側の鏡像になります(裏から見ると文字や星が左右反転します)。つまり1枚の布の両面に、同じ模様が描かれているだけです。
しかしサウジアラビア国旗の場合、表側はシャハーダが右から左に読めます(アラビア語の正しい方向です)。これを鏡像にしてしまうと、裏側は左から右になってしまって読めません。
そこでサウジアラビア国旗は、表側と裏側を別々に作り、両面とも右から左に読めるよう縫い合わせるという、特殊な製作方法を取っています。
両面が独立した別のデザインを持つ国旗は、サウジアラビアのほか、パラグアイ(表は国章、裏は財政紋章)、モルドバ(表裏で紋章の細部が異なる)など、世界でもごく少数しかありません。神聖な文字を両面で正しく読めるようにするための、サウジアラビア特有の工夫です。
ちなみに:サウジアラビアという国
サウジアラビアの基本情報を整理しておきます。
- 正式名:サウジアラビア王国(المملكة العربية السعودية)
- 首都:リヤド
- 面積:約215万km²(中東最大)
- 人口:約3,500万人
- 宗教:イスラム教(スンニ派)
- 国王:サルマン・ビン・アブドゥルアズィーズ(2015年1月即位)。実政はムハンマド・ビン・サルマン皇太子兼首相(通称MBS、2017年皇太子就任)が主導
メッカ・メディナというイスラム教二大聖地を国土に持ち、世界中のムスリムがハッジ(巡礼)で訪れる中心地です。国王の称号には「二大聖モスクの守護者(Custodian of the Two Holy Mosques)」が含まれています。
イスラム世界の中心としての国家。その自己定義が、国旗のシンボルに完全に反映されているわけです。
まとめ:宗教そのものが、国の旗になっている
今回のサウジアラビア国旗のまとめです。
- 緑地にアラビア書道のシャハーダと白い水平の剣
- 1973年3月15日、現行デザインを標準化
- 緑は、イスラムと預言者ムハンマドの色
- シャハーダは「アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」(イスラム五行の第一)
- 剣は、1921年にイブン・サウード初代国王が追加、イスラム法と正義を表す
- スルス書体は、10世紀完成のアラビア書道の最高峰
- 半旗禁止。神聖な文字を下げるのは冒涜とされる
- 商業利用禁止。Tシャツやサッカーボールなどに印刷できない(2002年FIFAボール事件)
- 両面別デザイン。両側からアラビア語が正しく読めるよう、表裏が鏡像
- 世界で唯一、書道(文字)が国旗の中心的シンボル
- メッカ・メディナを擁する「イスラム世界の中心」としての自己定義
神の言葉そのものが、国の旗である。サウジアラビアの国旗は、世界のどの国旗とも違う特別な扱いを受ける、文字通り唯一無二の1枚です。