青地、左上にユニオン・ジャック、右側に錨と聖書、手押し車を描いた紋章。ピトケアン諸島の旗、南太平洋に浮かぶイギリス海外領土の旗です。住民のほとんどが、あのバウンティ号の反乱の反乱者とタヒチ人女性の子孫であり、世界で最も人口の少ない自治領の1つでもあります。今回はそんなピトケアン諸島旗の話です。


まずは構成のおさらい

ピトケアン諸島旗の構成は、次のとおりです。

  • 背景:青(ブルー・エンサイン)
  • 左上のカントン:ユニオン・ジャック
  • 右側(フライ側):ピトケアン諸島紋章

紋章の構成は、以下のとおりです。

  • :青・黄・緑で、太平洋からそびえるピトケアン島
  • 盾の中の錨と聖書:バウンティ号の象徴
  • クレスト(盾の上):手押し車とミロの木の枝

色とシンボルの意味は、次のとおりです。

  • 青・黄・緑:太平洋からそびえる島
  • 錨と聖書:バウンティ号(聖書はキリスト教を表します)
  • 手押し車とミロの木:島で生き延びるための農業の役割

バウンティ号の聖書と錨を描いた、反乱の物語を込めた旗です。


「バウンティ号の反乱」 ── 旗の物語の核心

ピトケアン諸島の、世界的に有名な歴史を見ていきます。

1789年、海の反乱

1789年、バウンティ号の反乱が起こりました。フレッチャー・クリスチャンが、ウィリアム・ブライ艦長に対して反乱を起こしたのです。映画にも何度もなった、海洋史上有名な反乱事件です。

ピトケアン島へ

そして反乱者たちは逃避行に出ます。9人のイギリス人反乱者と、12人のタヒチ人女性らがピトケアン島に移住しました。追っ手から逃れるため、バウンティ号を燃やして沈め、島で新たな共同体を築いたのです。反乱者たちが、誰にも見つからない島に隠れて暮らし始めたという、ドラマのような実話です。

子孫が今も暮らす

そして現在、今の住民のほとんどが、反乱者とタヒチ人女性の子孫です。国旗の錨と聖書は、その祖先の船バウンティ号の象徴となっています。


「バウンティ号の聖書」 ── 今も残る本物

ピトケアン諸島の、特別な宝物を見ていきます。

本物の聖書が現存

紋章に描かれた聖書は、実在します。バウンティ号から持ち込まれた本物の聖書(バウンティ・バイブル)が、今もアダムスタウンの教会に残っているのです。反乱者がもたらしたキリスト教が、島の信仰の中心になりました。国旗に描かれた聖書が実際に島に存在するという、世界でも珍しい話です。


「ノーフォーク島との繋がり」

ピトケアン諸島と、もう1つの島との繋がりを見ていきます。

1856年、ノーフォーク島へ移住

1856年、人口過密のため、島の全住民がいったんノーフォーク島へ移住しました。その後、一部がピトケアンに戻っています。ピトケアンの反乱者の子孫が、ノーフォーク島にも暮らしているのです。2つの島の繋がりであり、ノーフォーク島の記事ともリンクする物語です。


ピトケアン諸島という領土

ピトケアン諸島の基本情報です。

  • 正式名:ピトケアン諸島(Pitcairn Islands)
  • 首都:アダムスタウン(Adamstown)
  • 面積:約47km²
  • 人口:約35〜50人
  • 公用語:英語・ピトケアン語
  • 法的地位:イギリスの海外領土(太平洋で唯一のイギリス海外領土)

「世界で最も人口の少ない自治領の1つ」

ピトケアン諸島は、超小規模な領土です。人口はわずか数十人で、世界で最も人口の少ない自治領の1つです。住民の多くがバウンティ号反乱者の子孫の数家系で占められています。

「ピトケアン語」

そして独特の言語として、ピトケアン語があります。英語とタヒチ語が混ざった言語で、ノーフォーク語とよく似ています。同じ起源を持つためです。

「船でしか行けない島」

ピトケアン諸島は、極端に遠い島です。空港はなく、船でしか行けません。最寄りのマンガレバ島(仏領ポリネシア)からも長い船旅となり、世界で最も行きにくい場所の1つです。名物として切手や蜂蜜が知られています。


まとめ:バウンティ号の聖書、反乱者の島

今回のピトケアン諸島旗のまとめです。

  • 青地(ブルー・エンサイン)に、左上のユニオン・ジャックと右側のピトケアン諸島紋章
  • 盾は青・黄・緑(太平洋からそびえる島)と錨と聖書(バウンティ号の象徴)
  • クレストに手押し車とミロの木の枝(島で生き延びるための農業)
  • 聖書は反乱者がもたらしたキリスト教を表す
  • 紋章は1969年11月4日に勅許、旗は1984年4月に採択
  • 1789年、フレッチャー・クリスチャンがブライ艦長に対しバウンティ号の反乱
  • 9人のイギリス人反乱者と12人のタヒチ人女性らがピトケアン島に移住、バウンティ号を燃やした
  • 今の住民のほとんどが反乱者とタヒチ人女性の子孫
  • バウンティ号の本物の聖書が今もアダムスタウンの教会に残る
  • 1856年、人口過密で全住民が一度ノーフォーク島へ移住、一部が戻った
  • ピトケアン語は英語とタヒチ語が混ざった言語(ノーフォーク語と類似)
  • 太平洋で唯一のイギリス海外領土、人口わずか数十人(世界最少級)
  • 空港はなく船でしか行けない、名物は切手や蜂蜜
  • 面積約47km²、首都アダムスタウン

バウンティ号の聖書と錨。ピトケアン諸島の旗は、海の反乱から逃れた人々が築いた島を、祖先の船の記憶とともに刻んだ1枚です。