白・緑の二色を、赤い帯がT字型に区切る、独特なレイアウト。そして左上には、湾曲した短剣と2本の剣。オマーンの国旗です。短剣がそのまま描かれた国旗って、世界でも珍しいんです。今回はそんなオマーン国旗の話。


まずは構成のおさらい

オマーン国旗の構成は、ちょっと複雑です。旗の上半分が白、下半分が緑になっており、旗竿側には縦長の赤い帯があります。その縦帯と、中央を横切る赤い帯が、ちょうどT字型(横に倒したT)を作っています。そして左上、赤い縦帯のなかに、国章(ハンジャルと交差した剣)が配されています。

3色の配置パターンとしては、世界の国旗のなかでもオマーン独自に近いレイアウトです。

色の意味は、次のとおりです。

  • :平和と繁栄、伝統的にイマーム(イバード派宗教指導者)に関連
  • :国土の肥沃さ、ジャバル・アル・アフダル(緑の山)、イスラム
  • :外敵との戦いで流された血、湾岸諸国に共通の色、サルタン

白は宗教指導者、赤はサルタン(世俗の王)、緑は国土とイスラム。この構造を見ると、オマーンの伝統的な統治構造そのものが旗に表現されている、と読み解けます。


1970年以前は「ただの赤い旗」だった

オマーン国旗の現在の姿に落ち着くのは、1970年12月17日からです。それまで、当時のマスカット・オマーン・スルタン国(沿岸部)は、ものすごくシンプルな旗を使っていました。赤一色、シンボルなしの、ただの赤い布です。

湾岸地域では、19世紀ごろから「赤い旗=この地域の海上勢力」として広く使われていて、サルタン国もそのひとつだった、というわけです。

ちなみに同じ時期、内陸のオマーン・イマーム国(イバード派の宗教指導者が統治する別勢力)は、白地に緑のハンジャルを独自に掲げていました。沿岸の赤、内陸の白。後の国旗の二元構造のルーツが、すでにこの2つの旗に表れていたわけです。

国を見分けるシンボルが旗にないというのは、近代国家としてはちょっと不便。1970年にカブース王が新国旗を制定するまで、長らくこの状態だったんです。


旗が変わったのは、1970年のクーデタから

オマーン国旗の大転換は、1970年7月23日のクーデタから始まります。

それまでオマーンを統治していたのは、サイード・ビン・タイムールスルタン。非常に保守的で、国民の海外渡航やラジオ・自転車の使用まで制限するような統治をしていました。中東のもうひとつの隠れた絶対王政として、20世紀後半なのにほぼ近代化が進んでいなかった国です。

そんな1970年、息子のカブース・ビン・サイード(当時29歳)が、イギリスの支援のもとで無血クーデタを起こし、父を退位させて自ら王位に就きます。

カブースは「近代化への大転換」を掲げ、学校・病院の建設、インフラ整備、女性の社会進出、国際社会への復帰を一気に進めました。そして新しい時代のシンボルとして、新しい国旗を制定します。1970年12月17日、現在の白・緑・赤にハンジャルを組み合わせた旗の基本形が正式採用されました。

ちなみに1970年当初は白・赤・緑の3帯が「2:1:2」(中央の赤が細い)の比率でしたが、1995年11月18日に3帯を均等幅へ標準化。さらに2004年にも比率が微調整され、現行のすっきりした見た目になりました。ベースは1970年、見た目の整いは1995年、と覚えるのが正確です。

カブースは2020年に79歳で亡くなるまで約50年間統治を続け、中東の近代化のモデルとも称されました。国旗は、その近代化の幕開けと同時に生まれたわけです。


国章の中央の「ハンジャル」って何?

オマーン国旗の最大の見どころが、左上の国章、ハンジャルと交差した剣です。

ハンジャルとは

ハンジャル(خنجر、Khanjar)は、オマーンを代表する伝統的な湾曲短剣です。J字型に弯曲した刃と、装飾的な柄、銀の鞘が特徴です。

オマーンの男性は古来、正装の際にハンジャルを腰にさげる習慣がありました。今でも結婚式や国の式典、独立記念日などには、正装の一部としてハンジャルを身につける伝統が続いています。

日本でいうと武士の刀みたいな立ち位置、と言うとイメージしやすいかもしれません。男性の威厳・成熟・名誉のシンボルで、家宝として受け継がれることも多い品物です。

交差した2本の剣

ハンジャルの後ろには、2本の剣が交差しています。これはオマーン人の戦闘の伝統と、領土を守る覚悟を象徴しています。

短剣、剣、ベルトの3点セットが、オマーン人の伝統的な武装と威厳を1つの紋章にまとめている、というわけです。

起源は18世紀

このハンジャルの紋章、もとは18世紀中頃、アル・ブー・サイード朝(オマーンを統治する王朝)が王家の紋章として採用したもの。それが時代を経て、国家全体の紋章になった、という流れです。

つまり現在の王家の系譜と、国の紋章が、起源を同じくしているわけで、王権の継続性がそのまま旗に表れている、とも言えます。


「白=イマーム、赤=サルタン」の二元構造

オマーン国旗の色の解釈で、いちばん面白いのが白と赤の関係です。

オマーンには伝統的に、2つの権威が並立していました。ひとつはサルタン、世俗的・政治的な統治者(現在の王家)です。もうひとつはイマーム、宗教的指導者(オマーン土着のイバード派イスラムの教導者)です。

特にオマーンが信仰するイバード派は、スンナ派・シーア派とは別の、第3のイスラム派で、世界的にも非常にマイノリティ。オマーンとアフリカのザンジバル周辺くらいにしか主要な信徒集団がない、稀少な宗派です。

歴史的に、オマーンの内陸部はイマーム(宗教的権威)が、沿岸部はサルタン(世俗的権威)が、それぞれ統治していた時期もありました。1957年には内陸でイマームが反乱を起こし、サルタンと内戦になった、という近代史もあります。

国旗の白(イマームの色)と赤(サルタンの色)が同じ旗に並んでいるのは、2つの権威を、ひとつの国としてまとめているという、近代オマーンの構造的な象徴なんです。


まとめ:「短剣の国」の威厳が、1枚の旗に込められている

今回のオマーン国旗のまとめです。

  • 白(上)・緑(下)の二色に赤いT字型の帯、左上に国章
  • 国章はハンジャル(伝統的湾曲短剣)と交差した2本の剣
  • 1970年以前のスルタン国の旗は「赤一色」、内陸のイマーム国は「白地に緑のハンジャル」を別に掲げていた
  • 1970年7月のカブース王クーデタによる近代化開始、同年12月17日に現国旗の基本形採用(1995年11月18日に3帯の幅を均等化、2004年微調整)
  • 色の意味は、白が平和とイマーム、緑が肥沃さとイスラム、赤が戦いとサルタン
  • ハンジャルの紋章は18世紀中頃にアル・ブー・サイード王朝の家紋として誕生
  • 内陸の宗教権威(イマーム)と沿岸の世俗権威(サルタン)の二元構造を反映

短剣がそのまま国旗の象徴になっているオマーンの旗は、武具がアイデンティティそのものになっている、世界でも珍しい国旗のひとつです。