赤・白・青の横三色。オランダの国旗です。シンプルなので「あれ、フランス?ロシア?」と区別がつきにくいかもしれませんが、じつはオランダ国旗は世界最古の三色旗であり、フランス・ロシアの三色旗のお手本にもなった、世界の旗の歴史上、特別な位置にある1枚です。さらに「もとはオレンジ色だった」という意外な過去も。今回はそんなオランダ国旗の話。
まずは構成のおさらい
オランダ国旗は、上から次のとおりです。
- 赤(ライトレッド寄り)
- 白
- コバルトブルー
横三色で、要素はこれだけ。紋章も模様もありません。
色の意味については、現在では「赤=勇気・国民の力」「白=信仰・神性」「青=忠誠・自由・正義」と説明されることが多いですが、色そのものは具体的な意味より、歴史的経緯から決まったものです。ある王子が好んだ色がベースになっているんです。
もともとは「オレンジ・白・青」だった
オランダ国旗の起源を語るとき、絶対に欠かせない人物がウィレム1世(William the Silent、1533-1584)、いわゆるオラニエ公(オランダ語:Prins van Oranje、英語:Prince of Orange)です。
オラニエ公という称号は、現在のフランス南東部にあるオランジュ(Orange)という小さな公国の領主の家系。ウィレム1世はこの公国を相続し、同時にネーデルラント連邦共和国(オランダ独立運動)の事実上の指導者でもありました。
16世紀、ネーデルラントはスペイン・ハプスブルク家の支配下にあり、宗教(プロテスタント対カトリック)と税金をめぐる対立から、独立戦争(八十年戦争、1568-1648)が始まっていました。
その独立戦争で、ウィレム1世とその支持者たちが使った旗が、「プリンセンフラフ(Prinsenvlag、王子の旗)」、オレンジ・白・青の三色でした。
色は、オラニエ公家の家紋の色から取ったもの。オレンジはオラニエ公の色、白は中立・純粋、青は忠誠といった解釈で、独立運動のシンボルとして使われました。
つまりオランダの国旗、もともとは「オレンジ・白・青」だったんです。
1572年、海賊が旗を掲げた
プリンセンフラフが歴史の舞台に登場するのが、1572年です。
スペイン軍に追われて海に出ていたヴァーテルヘーゼン(Watergeuzen、「海乞食」と訳される、オランダ独立派の私掠船団)が、デン・ブリール(Den Briel)という港町を奪取し、独立戦争の重要な拠点となりました。
このとき、彼らの船にオラニエ公の旗が掲げられていた、というのが伝説。独立戦争に勝つために海賊が掲げた旗が、後に国の旗になったという、なかなか痛快な歴史です。
ただ、この時点でオレンジ・白・青の三色旗だったかどうかは、史料的にはちょっと曖昧で、1570年代後半から徐々に三色旗として定着していった、というのが研究者の見解です。ある日突然旗が生まれたのではなく、戦争のなかで徐々に形になっていった、というのが実態です。
オレンジから赤へ、1630年ごろ
オランダ国旗が「オレンジ→赤」に変わったのは、17世紀前半、1630年ごろと言われています。
実は決定的な理由は今もはっきり分かっていないんです。研究者・旗章学者の間ではいくつかの説が並立しています。
説1:染料の退色(実用上の問題)
いちばん有力とされるのが、染色技術上の問題。当時のオレンジはアカネとウコンを混ぜた植物染料で染められていましたが、これが日光と海水によって急速に色褪せて黄色や赤っぽくなってしまう。海洋国家オランダにとって、旗の識別性は死活問題でした。最初から退色しない赤に統一しよう、という実務的判断が大きかった、というのがいまの主流的な見解です。
説2:政治的な距離(オラニエ家と共和国政府の緊張関係)
ウィレム1世の死後、オラニエ家とオランダ共和国(実際の政府)のあいだに緊張関係が生まれ、1652年には共和国がオレンジ旗を禁止したという史実があります。オラニエ家の象徴を共和国の旗から薄める政治的動機があったとする説です。ただしこちらは後世の解釈・俗説に近いとする旗章学者もいて、最近は懐疑的に語られることが多いようです。
説3:海上での視認性
これは説1の応用版で、赤のほうが遠くからでもくっきり見えるという実務的なメリットも合わせて働いた、というものです。
実用説(退色)が主、政治説と視認性説が補助、というあたりが、現代の研究では落としどころです。徐々にオレンジが赤に置き換わり、1660年ごろにはほぼ完全に赤・白・青になっていた、と言われています。
1664年、ゼーラント州が「ステーテンフラフ(Statenvlag、国民議会の旗)」という名前で正式に赤・白・青の三色旗を認定。これがいまの国旗の直接の祖先です。
公式採用は、意外と遅い1937年
世界最古の三色旗と言われていますが、国の旗として正式に法令で確定したのは、けっこう遅くて1937年です。
歴史をたどると、まず1796年2月14日にバタヴィア共和国(フランス革命の影響でできた短命なオランダ共和国)が正式採用し、1815年にはネーデルラント王国が成立して旗を継承しました。そして1937年2月19日、ウィルヘルミナ女王の王令で、現在の赤・白・青が正式に国旗として確定します。
事実上は16世紀から使われているが、公式の法令としては1937年に確定、とちょっと変則的な歴史を持っています。
フランス・ロシア・南アフリカの旗の「親」
オランダ国旗のいちばんの世界史的価値は、世界中の三色旗のお手本になったことです。
ロシア国旗
1697年、ロシアのピョートル大帝(在位1682-1725)がオランダを訪問し、造船・航海術を学んでいるあいだに、オランダ国旗に強い影響を受けます。帰国後、ロシア国旗を白・青・赤の三色(オランダの色配置を縦に並べ替えたもの)にしました。
ピョートル大帝がオランダで暮らした半年が、ロシア国旗を生んだわけです。
フランス国旗
1789年のフランス革命以降、フランスは青・白・赤の縦三色を国旗に採用します。フランス国旗自体はパリ市の色(青・赤)と王室の白を組み合わせたものが直接の起源とされていますが、3色を等幅で並べる近代的トリコロールの概念そのものについては、それより200年前のオランダ三色旗が先駆者だった、と多くの旗章学者が位置づけています。
南アフリカ国旗(1928-1994)
オランダのプリンセンフラフ(オレンジ・白・青)は、オランダ系移民(ボーア人)が南アフリカに持ち込み、1928-1994年の南アフリカ国旗として直接使われました。現在のレインボー旗に置き換わるまで、66年間です。
ニューヨーク・オールバニ
オランダ植民地時代のニューネーデルラントの流れで、ニューヨーク市・オールバニの市旗もプリンセンフラフ由来です。
いまも「オレンジ」がオランダの色
国旗からは消えたオレンジ色ですが、現在のオランダでオレンジは「国民色」として生き続けています。
王室はオラニエ=ナッサウ家で、いまも続く王家の色がオレンジです。スポーツでも、サッカーやオランダ代表のユニフォームはオレンジ。4月27日のキングス・デー(王の日)には、街じゅうがオレンジに染まります。オランダ航空KLMも、機体の青のなかにオレンジを使っています。
旗から消えたオレンジが、国の文化のなかでは中心にいる。これって、ちょっと不思議な逆転現象です。
まとめ:すべての三色旗の「お母さん」
今回のオランダ国旗のまとめです。
- 赤・白・青の横三色(世界最古の三色旗として現役)
- 原型は16世紀の「プリンセンフラフ」(オレンジ・白・青)、オラニエ公ウィレム1世の家紋から
- スペインに対する八十年戦争(1568-1648)で独立運動の旗として使われた
- 1572年、海賊船団「ヴァーテルヘーゼン」がデン・ブリール奪取時に使用
- 17世紀前半(1630年ごろ)にオレンジから赤へ変化(主因は染料の退色・実用説、政治説や視認性説も併存)
- 1664年に「ステーテンフラフ」として議会が認定
- 1796年バタヴィア共和国採用、1937年ウィルヘルミナ女王の王令で正式確定
- ロシア(1697年ピョートル大帝経由)、フランス(1789年革命後)、南アフリカ(1928-1994)、ニューヨーク市・オールバニ市の旗の直接の祖先
- 国旗からオレンジは消えたが、王室・スポーツ・キングスデーなど国民文化に残り続けている
自分が消したオレンジを、世界中の三色旗の母として残したオランダの旗は、世界の旗の系譜のルーツとして、ものすごく特別な1枚です。