黄・緑・赤の横三色、中央に白い大きな5角星。これがミャンマーの国旗、2010年に新採択された比較的新しい旗です。それまで55年間使われた「社会主義の旗」(赤地に孔雀・歯車・稲穂・星)を捨て、独立闘争時代の黄緑赤の3色に回帰しました。しかしその後の政治混乱で、現在は民主主義派が古い「闘魂孔雀旗」を掲げています。世界の国旗のなかで、現代も最も政治的な1枚です。今回はそんなミャンマー国旗の話です。
まずは構成のおさらい
ミャンマー国旗の構成は、次のとおりです(2010年〜)。
- 横3本の帯(上から):黄(サフラン)・緑・赤
- 中央:白い大きな5角星
- 比率:2:3
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 黄(サフラン):団結、調和、英知、幸福、民族の調和
- 緑:肥沃、平和、緑の国
- 赤:勇気、決断力
- 白い星:純粋さ、誠実さ、慈悲、力
1943年の独立闘争旗の伝統的な3色に、現代の星を加える。歴史への回帰と、現代国家のシンボルを融合したデザインです。
2010年10月21日 ── 国旗の劇的変更
ミャンマー国旗の、21世紀の歴史的瞬間を見ていきます。
1974-2010年、社会主義時代の旗
1974年から2010年まで使われたミャンマー(旧ビルマ)の国旗は、赤地に、左上のカントン(青い長方形)を配し、そのなかに14個の星に囲まれた歯車と稲穂を描いたものでした。社会主義ビルマ連邦共和国(1974-1988)の旗であり、後のミャンマー連邦も基本的に同じデザインを使っていました。
14の星は14の行政区分を、歯車と稲穂は労働者と農民(社会主義)を表す、典型的な社会主義国旗でした。
2010年、新国旗法
そして2010年10月21日午後3時、新国旗が正式に掲揚されました。2008年憲法に基づき、2010年の連邦旗法で1974年旗を廃止し、黄・緑・赤の3色と白い星に変更したものです。
「ビルマ → ミャンマー」の文脈
国名も、1989年に変更されています。旧称はビルマ連邦(Union of Burma)、新称はミャンマー連邦(Union of Myanmar、2010年以降は「ミャンマー連邦共和国」)です。2010年の国旗変更は、この国名変更の延長線上にありました。
ビルマからミャンマーへ、社会主義から3色旗へ。これが、現代ミャンマーの転換点です。
1943年版への回帰
新国旗のデザインは、1943年版へのオマージュです。
1943年、日本占領下のビルマ独立
1943年8月1日、第二次大戦中に、ビルマ国(日本軍政下の傀儡国家)が成立しました。当時の国旗は、黄・緑・赤の横三色の中央に孔雀を描いたものでした。この「闘魂孔雀」(ピーコック・オブ・ファイト)はビルマ王権の伝統的シンボルで、当時はアウン・サン将軍(アウン・サン・スー・チーの父)らが国を率いていました。
2010年版の選択
2010年の新政府(軍事政権)は、1943年の3色を継承しました。独立闘争の伝統に戻るという選択です。ただし孔雀は使わず、白い星に変更し、ミャンマー国民国家の純粋なシンボルとしました。
社会主義の遺産を捨て、独立闘争の伝統に回帰する。これが、2010年版の本質です。
「闘魂孔雀旗」 ── 民主主義派の旗
そして、ミャンマー国旗には「もう1つの旗」があります。闘魂孔雀旗です。
民主主義派のシンボル
闘魂孔雀旗(Fighting Peacock Flag)は、赤地に黄色い闘う孔雀を描いた旗です。アウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)の党旗で、ミャンマー王朝の伝統的シンボルでもあり、1988年から民主化運動の象徴となってきました。
2021年クーデター後
2021年2月1日、軍事クーデターが起き、民主政権が打倒されました。アウン・サン・スー・チーは逮捕され、NLDは非合法化されます。以降、民主主義派は抗議の象徴として闘魂孔雀旗を掲げ、国際社会の一部はこの旗を「真のミャンマー国旗」として認知しています。
1つの国に、2つの旗が並ぶ。これは、ベラルーシやフィジーと並ぶ、現代の国旗対立の典型です。
国旗の白い星は民主主義の純粋さの理想を表しますが、現実には孔雀旗との対立がある。これが、現代ミャンマーの姿です。
ミャンマーという国
ミャンマーの基本情報です。
- 正式名:ミャンマー連邦共和国(Republic of the Union of Myanmar)
- 首都:ネピドー(Naypyidaw、2006年にヤンゴンから遷都)
- 最大都市:ヤンゴン(旧ラングーン)
- 面積:約67.7万km²
- 人口:約5,500万人
- 公用語:ミャンマー語(ビルマ語)
- 宗教:上座部仏教(約88%)
「ビルマ」と「ミャンマー」
国名「ミャンマー」は、1989年に「ビルマ」から変更されました。「Burma」は19世紀のイギリス植民地時代の呼称、「Myanmar」はビルマ語の正式な自称です。
なぜ変更したのかには、諸説あります。公式には「ビルマはビルマ族の名前、ミャンマーは全民族を含む」と説明されています。一方で、「軍事政権が一方的に変更したもので、民主主義派は『ビルマ』を支持している」という批判もあります。アウン・サン・スー・チーや、米国・英国の一部は、今も「Burma」を使っています。
国旗だけでなく、国名も政治的対立の的になっている。これが、現代ミャンマーです。
「黄金の仏塔の国」
ミャンマーには、世界的に有名な仏教文化があります。ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダは高さ99mの金の仏塔で、バガンには約3,000の仏塔が広がる平原(世界遺産)があります。国民の約88%が上座部仏教徒で、東南アジアでも仏教信仰の強い国のひとつです。
国旗の黄は、サフラン(仏教僧の僧衣)の色を表すというシンボリズムです。
「アウン・サン・スー・チー」
ミャンマーには、世界的に有名な指導者がいます。アウン・サン・スー・チー(1945-)です。独立の父であるアウン・サン将軍の娘で、国民民主連盟(NLD)の党首を務め、1991年にノーベル平和賞を受賞しました。約15年間にわたり自宅軟禁され、2016年から2021年まで国家最高顧問(事実上の首相)を務めましたが、2021年のクーデターで再逮捕され、長期刑判決を受けています。
「世界最古の仏教文化+現代の政治対立」
国旗の白い星は純粋さの理想を表しますが、現実は対立にある。これが、現代ミャンマーの矛盾です。
ちなみに:1943年の孔雀旗
ミャンマー国旗の、忘れられた孔雀の伝統を見ていきます。
「闘う孔雀」
闘魂孔雀は、ミャンマー王朝の伝統的シンボルです。コンバウン朝(18-19世紀)の王権の象徴であり、「コンバウン家の孔雀」と呼ばれました。ミャンマー人にとって、孔雀は民族の誇りです。
1943-1948年の国旗
1943年から1945年にかけて、日本軍政下のビルマ国旗は、黄緑赤に孔雀を加えたものでした。
そして1948年1月4日、ビルマ連邦がイギリスから独立します。新国旗は、赤地に左上のカントンを配し、大きな白い星と小さな5つの白い星を描いたものでした。
孔雀から星へ、星から歯車へ、そして再び星へ。これが、ミャンマー国旗の複雑な歴史です。
まとめ:ビルマからミャンマー、社会主義から3色旗へ
今回のミャンマー国旗のまとめです。
- 黄(サフラン)・緑・赤の横三色+中央の白い大きな5角星
- 2010年10月21日午後3時、新国旗法で正式採択
- 1974-2010年は社会主義時代の旗(赤地+カントン+14星+歯車+稲穂)
- 1943年版(日本軍政下ビルマ国、黄緑赤+孔雀)の3色に回帰
- 黄=サフラン(団結・調和・英知)、緑=肥沃・平和、赤=勇気・決断、白星=純粋・慈悲
- 国名は1989年「ビルマ→ミャンマー」、2010年に国旗も変更
- 民主主義派(アウン・サン・スー・チー、NLD)は「闘魂孔雀旗」を掲げる
- 2021年2月クーデター以降、闘魂孔雀旗が抗議のシンボルに
- 1つの国に2つの旗が並ぶ現代国家のひとつ
- アウン・サン将軍(独立の父)の娘がアウン・サン・スー・チー
- 1991年ノーベル平和賞受賞、約15年間自宅軟禁
- 国民の約88%が上座部仏教徒
- シュエダゴン・パゴダ(金の仏塔)、バガン(3,000の仏塔の世界遺産)
- 2006年、首都をヤンゴン(旧ラングーン)からネピドーに遷都
- 「ビルマ」を今も使う国(米国・英国の一部)と「ミャンマー」を使う国
社会主義の14星から、独立闘争の3色と白い星へ。ミャンマーの国旗は、21世紀のミャンマーの転換と、現代の政治対立を、2010年の変更で象徴した1枚です。