赤地に金色の縁取り、中央に金色の双頭ワシ、その胸にはライオンの盾。モンテネグロの国旗は、バルカン半島の小国の旗です。2006年にセルビアから独立した、21世紀のヨーロッパで最も新しい国家のひとつ。そして19世紀のペトロヴィッチ・ニェゴシュ王朝の旗を、現代国家の象徴として復活させた、伝統と現代の融合の旗でもあります。今回はそんなモンテネグロ国旗の話です。
まずは構成のおさらい
モンテネグロ国旗の構成は、次のとおりです。
- 背景:赤
- 縁取り:金色(旗の周囲)
- 中央:モンテネグロ国章(金色の双頭ワシ+胸にライオンの盾)
国章の詳細は、以下のとおりです。
- 双頭のワシ:金色で翼を広げる。東ローマ(ビザンチン)帝国の伝統
- ワシの胸の盾:金色のライオン。ニェゴシュ王朝の紋章
- ワシの右足:王の杖(セプター)で、統治権を表す
- ワシの左足:宝珠(球+十字架)で、統治権を表す
- ワシの上:王冠で、王朝の伝統を表す
色とシンボルの意味は、次のとおりです。
- 赤:血、戦士の勇気
- 金(縁取り):王朝の威厳
- 双頭ワシ:ローマ・ビザンチン帝国の伝統
- ライオン:モンテネグロの強さと独立
19世紀王朝の旗を、21世紀の独立国家の旗に。そんな伝統的な紋章型の国旗です。
2006年6月3日 ── ヨーロッパ最年少の独立国
モンテネグロは、21世紀に独立を果たしました。
ユーゴスラビアの最後
モンテネグロは、かつてユーゴスラビアの構成共和国でした。1918年から1992年まではユーゴスラビア王国、そしてユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部であり、1992年から2003年まではユーゴスラビア連邦共和国(セルビア+モンテネグロ)、2003年から2006年まではセルビア・モンテネグロ国家連合を構成していました。
2004年7月13日、新国旗
そして2004年7月13日、まだセルビア・モンテネグロ国家連合内にあったモンテネグロが、新国旗を採択します。ペトロヴィッチ・ニェゴシュ王朝(1696-1918)の伝統的な王旗を復活させたもので、赤地に金縁、金の双頭ワシとライオンを配したデザインでした。ユーゴスラビア・社会主義時代の遺産を捨て、19世紀の王朝伝統に回帰したのです。
2006年6月3日、独立
そして2006年5月21日の住民投票では、55.5%が独立を支持しました。これはしきい値の55%をわずかに超える結果でした。2006年6月3日に独立を宣言し、新国旗をそのまま継続して使用しています。
南スーダン(2011)に次ぐ若さで、ヨーロッパで最も新しい独立国家のひとつ。それが現代モンテネグロです。
ペトロヴィッチ・ニェゴシュ王朝
モンテネグロ国旗を語るうえで、最も重要なのがこの王朝の歴史です。
1696-1918年、222年の王朝
ペトロヴィッチ・ニェゴシュ王朝(Petrović-Njegoš)は、1696年から1918年まで続いた王朝です。創始者はダニロ1世(1696年)。当初はヴラディカ(正教会の主教と世俗指導者を兼ねる二重職)でしたが、後に公爵、そして王へと昇格していきました。
「世襲のヴラディカ」
ニェゴシュ王朝には、独特の制度がありました。ヴラディカとは、正教会の主教と世俗指導者を兼ねる職です。聖職者は通常結婚しませんが、ニェゴシュ家は世襲を確保するため、叔父から甥へと継承していきました。政教合一の特殊な王朝だったのです。
ニコラ1世(1860-1918)
最後の王が、ニコラ1世(Nikola I Petrović)です。1910年にモンテネグロ公国を王国に格上げし、「ヨーロッパの最後の王の1人」と呼ばれました。しかし1918年、第一次大戦後にユーゴスラビアに併合され、退位しています。
100年を経て、ニェゴシュ家の旗が現代モンテネグロの国旗になった。それが21世紀の独立の象徴です。
「双頭ワシ」 ── 東ローマ帝国の伝統
モンテネグロ国旗の中心にあるのが、双頭ワシです。
ビザンチン帝国の遺産
双頭ワシは、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)のシンボルでした。ローマ帝国が東西に分裂したのち、東ローマが採用したもので、「東と西を見る」帝国の2つの目を表します。15世紀のコンスタンティノープル陥落後は、セルビア・ロシア・アルバニアなど東欧諸国に継承されていきました。
東欧の双頭ワシ国
双頭ワシは、各国でそれぞれの姿を見せます。アルバニアは黒い双頭ワシ、セルビアは白い双頭ワシ、ロシアは金色の双頭ワシ。そしてモンテネグロは、金色の双頭ワシに加えてライオンを配しています。
東ローマ帝国の精神を継承する東欧諸国にとって、双頭ワシは共通のシンボルなのです。
「ライオン」 ── モンテネグロ独自
そして、双頭ワシの胸に描かれたライオンに注目です。これはニェゴシュ王朝の独自シンボルであり、モンテネグロの強さと独立を象徴しています。バルカン半島の小国家が、ライオンのように戦うという意味が込められています。
双頭ワシ(東ローマ伝統)とライオン(モンテネグロ独自)。普遍と独自が融合した国章です。
モンテネグロという国
モンテネグロの基本情報です。
- 正式名:モンテネグロ(Crna Gora、「黒い山」の意)
- 首都:ポドゴリツァ(Podgorica)
- 面積:約13,800km²
- 人口:約62万人
- 公用語:モンテネグロ語(セルビア・クロアチア語系統)
- 宗教:セルビア正教(約72%)、イスラム教(約19%)
「黒い山」 ── 国名の由来
国名「モンテネグロ」(Montenegro)は、イタリア語に由来します。「Monte」が山、「Negro」が黒を意味し、「Montenegro」で「黒い山」となります。
モンテネグロ語名
現地語名は、Crna Gora(ツルナ・ゴラ)です。「Crna」が黒い、「Gora」が山を意味し、こちらも「黒い山」という、イタリア語と同じ意味になります。
なぜ「黒い山」なのか。それは、ロブチェン山(Lovćen、1,749m)の松林が遠くから黒く見えたためです。
「世界最年少のヨーロッパ国家」
モンテネグロは、ヨーロッパで最も若い独立国家のひとつです。2006年6月3日に独立し、これはコソボ(2008年独立、ただし国際承認に分裂)に次ぐ若さです。2017年にはNATOに加盟し、2026年現在はEU加盟候補国として加盟交渉を続けています。
「アドリア海の宝石」
モンテネグロには、世界的に有名な観光地があります。ユネスコ世界遺産であり、地中海最大のフィヨルド型湾であるコトル湾。アドリア海沿岸のリゾート、ブドヴァ。そしてロブチェン山やドゥルミトル国立公園です。
国旗の赤はアドリア海の夕日、金は海岸のリゾート。そんなイメージも重なります。
「ユーロ採用」
モンテネグロは、世界でも珍しい「EU加盟前のユーロ使用国」です。2002年からユーロを法定通貨としており、これはEU加盟前の採用にあたります。コソボ・サンマリノ・バチカン・アンドラなどと同様の事例です。
ちなみに:「アルバニアとの近さ」
モンテネグロは、意外な民族構成を持っています。モンテネグロ人が約45%、セルビア人が約29%、ボシュニャク人が約8.6%、アルバニア人が約5%、そのほかにクロアチア人やロマなどがいます。
バルカン半島の人種・宗教の交差点。それがモンテネグロの特徴です。
まとめ:19世紀王朝の旗、21世紀の独立
今回のモンテネグロ国旗のまとめです。
- 赤地に金色の縁取り、中央に金色の双頭ワシと胸のライオンの盾
- 2004年7月13日、まだセルビア・モンテネグロ国家連合内で採択
- 2006年6月3日の独立後も継続使用
- 1696-1918年のペトロヴィッチ・ニェゴシュ王朝の王旗を復活
- ヴラディカ(正教会の主教+世俗指導者)の世襲制度
- 1910年、ニコラ1世が公国を王国に格上げ
- 双頭ワシは東ローマ(ビザンチン)帝国の伝統で、東欧諸国に共通
- ライオンはモンテネグロ独自のシンボル(ニェゴシュ王朝の紋章)
- 国名「Montenegro」「Crna Gora」は両方とも「黒い山」の意
- ロブチェン山の松林が遠くから黒く見えたため
- 1918-2006年はユーゴスラビアの一部。2006年5月21日の住民投票で55.5%が独立支持
- 2017年NATO加盟、EU加盟交渉中
- 2002年からユーロを法定通貨に(EU加盟前)
- コトル湾はユネスコ世界遺産で、地中海最大のフィヨルド型湾
- バルカン半島の人種・宗教の交差点(モンテネグロ・セルビア・ボシュニャク・アルバニア)
19世紀の王朝の旗を、21世紀の独立国家の旗に。モンテネグロの国旗は、ヨーロッパで最も新しい独立国家の、最も古い伝統への回帰を表現した1枚です。