緑・白・赤の縦三色。世界でいちばん有名な国旗のひとつ、イタリアの「トリコローレ(Tricolore)」です。でもこの旗は、イタリアという国ができるよりずっと前に作られたものだって、知っていましたか。しかも、作ったきっかけはナポレオンでした。今回はそんなイタリア国旗の話です。
まずは構成のおさらい
イタリア国旗の構成はシンプルで、左から緑・白・赤の縦三色(バーティカル・トライバンド)です。
色の意味は、法律上の公式解釈はありませんが、一般的には緑がイタリアの風景や希望、白がアルプスの雪・信仰・純粋さ、赤がイタリア統一戦争(リソルジメント)で流された血、と語られています。
詩人ジョズエ・カルドゥッチは1897年に「白は知性の信念、緑は自然に再生する希望、赤は祖国に命を捧げた殉教者の情熱と血」と語ったと伝えられています。
1797年、レッジョ・エミリアで生まれた
イタリア国旗の歴史は、1797年1月7日、北イタリアの小さな都市レッジョ・エミリアで始まります。
このときイタリア半島は、まだ「イタリア」という統一国家ではありませんでした。各地域が独立した小国・都市国家・教皇領などに分かれていて、「イタリア」という名前は地理的概念でしかなかったのです。
そんな1796年、フランスの若き将軍ナポレオン・ボナパルトがイタリアに侵攻します。北イタリアにいくつもの「姉妹共和国(sister republic)」、つまりフランス革命の理念を共有するナポレオン傘下の共和国を作っていきました。
そのひとつがチスパダーナ共和国です。ボローニャ・フェッラーラ・モデナ・レッジョ・エミリアの4都市が連合してできた、わずか1年半しか続かない短命な共和国でした。
1797年1月7日、この共和国の議会で、議員ジュゼッペ・コンパニョーニ(Giuseppe Compagnoni、1754-1833)が「緑・白・赤の三色旗を、我々の国旗にしよう」と提案し、満場一致で可決されました。
これが、イタリア半島で初めて緑・白・赤の三色旗が公式に国旗となった瞬間です。コンパニョーニはこの功績で、後に「イタリア国旗の父」と呼ばれるようになります。
当初は「横三色+矢4本」だった
ここがちょっと意外なところで、最初のチスパダーナ共和国旗は、今みたいな縦じゃなくて横三色でした。しかも中央には、4本の矢が入った矢筒のシンボルが描かれていたんです。
4本の矢が意味するのは、チスパダーナ共和国を構成する4都市、すなわちボローニャ、フェッラーラ、モデナ、レッジョ・エミリアでした。4都市が連合してひとつになるという意思が、シンボルとして旗に描き込まれていた、というわけです。
その後1797年6月29日、チスパダーナ共和国は北のトランスパダーナ共和国と合併してチザルピーナ共和国へと変わります。このタイミングで旗が反時計回りに90度回転して、現在の縦三色のレイアウトになりました。
ちなみに矢筒のシンボルは、その後の混乱期を経て徐々に消えていき、最終的には純粋な3色だけのデザインに落ち着いていきます。
なぜ緑・白・赤? ヒントは「ミラノ」にあり
「三色旗ならフランスがあるから、フランスを参考にしたんでしょ」というのは、半分正解で半分違います。
確かにフランス革命の三色旗(青・白・赤)は、ヨーロッパ各地で「自由・平等・友愛のシンボル」として大流行していて、イタリアの三色旗もそのインスピレーション源でした。
ただ、なぜ青ではなく緑なのか。その答えはミラノにあります。赤と白はミラノ市の伝統色(紋章の色)であり、緑はミラノの市民衛兵(Guardia Civica)の制服の色でした。
つまりイタリア三色旗の3色は、革命の影響でミラノ市民衛兵のシンボルをベースに作られた、というハイブリッドな由来を持っているんです。フランス三色旗の構造とミラノの色、この組み合わせが、いまも続くイタリア国旗の根っこになっています。
64年間、「国はない、旗だけある」状態が続いた
ここがちょっと面白いポイントです。
1797年に旗が生まれてからも、イタリアという統一国家はまだ存在しませんでした。チザルピーナ共和国もナポレオンの没落とともに消え、イタリア半島はふたたび小国分立の状態に戻ります。
ただ、三色旗は「イタリア人」のアイデンティティとして残り続けました。19世紀のリソルジメント(イタリア統一運動)のなかで、独立を目指す各地の運動家たちがこの旗を掲げ、分かれた状態を超えるシンボルとして広めていきます。
そして1861年、ついにイタリア王国が成立します。統一イタリアの正式な国旗として、緑白赤の三色旗が中央にサヴォイア家の紋章を載せた形で採用されました。
つまりこの旗は、国ができる64年前から、人々の間で「イタリアの旗」として使われ続けていたんです。アルジェリアと同じく、国旗のほうが国より長く存在しているケースです。
1946年、紋章が消えて「いまの形」に
その後イタリアは王国として続きますが、1946年6月2日の国民投票で王制廃止・共和制移行が決定します。
これに伴い、国旗中央のサヴォイア家紋章も削除されることになりました。1946年6月19日から、シンプルな緑・白・赤の三色だけの旗が現代イタリア共和国の国旗として使われ続けています。
つまりいまの形に落ち着いたのは、戦後の1946年。比較的最近の出来事です。
1月7日は「三色旗の日」
イタリアでは1月7日を「三色旗の日(Festa del Tricolore)」として祝っています。これは1996年12月31日の法律で公式に制定された記念日で、毎年レッジョ・エミリアでは式典が開かれます。
1797年1月7日、コンパニョーニが議会で提案して旗が誕生した、ちょうどその日です。国旗が生まれた瞬間を、現代でもしっかり祝うという、イタリア人らしいエピソードです。
「色が濃すぎる」と論争になった2003年の話
イタリア国旗は、じつは2003年と2006年に「色の濃さ」が政府の大統領令(DPCM)で正式に規定されたんです。指定された公式色は、緑がPantone Fern Green 17-6153 TCX、白がPantone Bright White 11-0601 TCX、赤がPantone Flame Scarlet 18-1662 TCXです。
なぜこんなことが決まったかというと、それまでは色味の決まりがふんわりしていたため、政府機関や公式行事で使われる旗が、メーカーごとに微妙に違う緑・赤で印刷されていたからです。
きっかけはベルルスコーニ政権時代でした。一部の政府公式旗の色が従来より濃く・暗くなったと一部メディアが指摘して論争になり、これを受けて、色を法令で固定する動きが進みました。国旗の色を、ファッション業界で使われるパントン番号で正式に縛るというのは、デザイン国家らしい解決方法です。
まとめ:旗のほうが、国より長く存在していた
今回のイタリア国旗のまとめです。
- 緑・白・赤の縦三色(緑=風景/希望、白=アルプス/純粋、赤=統一戦争の血)
- 1797年1月7日、ナポレオン下のチスパダーナ共和国で初めて国旗化
- 提案したのは議員ジュゼッペ・コンパニョーニ、「イタリア国旗の父」
- 最初は横三色+矢4本の矢筒(4都市の連合を表す)
- 1797年6月、チザルピーナ共和国成立時に縦三色に回転
- 色の由来はミラノの紋章(赤白)と市民衛兵の制服(緑)
- 1861年のイタリア王国成立で正式国旗化(サヴォイア紋章付き)
- 1946年の共和制移行で紋章削除、現在の形に
- 1月7日は「三色旗の日」(1996年法制化)
国ができる64年前から、人々はすでにこの旗のもとに集まっていた。イタリアの三色旗は、統一の理念そのものを200年以上携えてきた、ものすごく重い意味を持つ1枚なんです。