旗竿側の赤い縦帯のなかに、黒い星。右側は黄色と緑の横帯。ギニアビサウの国旗です。汎アフリカ色と、PAIGCの党旗をそのまま国旗にしたという背景に、独立を目前に暗殺された指導者の物語があります。今回はそんなギニアビサウ国旗の話です。


まずは構成のおさらい

ギニアビサウ国旗はちょっと変わった構成です。

  • 旗竿側:縦長の赤い帯(中央に黒い五芒星)
  • 右側:上が黄色、下が緑の横帯(黄と緑は均等幅)

3色の配置がちょっとユニークで、「縦+横」のハイブリッド構造です。同じ系統のレイアウトはUAEなどにもあります。

色とシンボルの意味は、以下のとおりです。

  • :独立闘争で流された血
  • 黒い星:PAIGC(独立を率いた政党)の指導と、アフリカ人民そのもの
  • :北部のサバンナ、鉱物資源、農業
  • :南部の森林、農業、希望

赤と黒星と汎アフリカ色(黄・緑)。汎アフリカ運動を象徴する基本要素が、ぎっしり1枚に詰め込まれている、というデザインです。


PAIGC党旗が、そのまま国旗になった

ギニアビサウ国旗で最大の特徴は、現在の国旗が、独立運動を率いた政党PAIGC(パイック)の党旗そのままだということ。

PAIGC とは

PAIGC(Partido Africano da Independência da Guiné e Cabo Verde、ギニアとカーボベルデの独立アフリカ党)は、1956年9月19日、ビサウで設立された独立運動政党です。

設立者の中心人物は、知識人で農業技師、独立運動の理論家であったアミルカル・カブラル(Amílcar Cabral、1924-1973)と、共同創設者のアンリ・ラベリ(Henri Labéry)です。

PAIGC はポルトガル支配からの独立を目標に、武装闘争を含む組織的な独立運動を展開しました。ギニアとカーボベルデ、両方の独立を同時に目指す、というのが党名の通りの方針でした。

1961年の党旗デザイン

1961年、PAIGC は党旗を制定しました。デザインの参考にしたのは、赤・黄・緑に黒い星を加えたガーナ国旗と、赤・黄・緑の縦三色のギニア国旗です。

両方とも、汎アフリカ運動の象徴としての色構成。ガーナの黒い星は、マーカス・ガーヴェイのブラック・スター・ライン(アフリカ系米国人の海運会社)に由来する「アフリカ解放のシンボル」です。

PAIGCは「ガーナと同じ精神で、自分たちもアフリカの解放を進める」という意思を、党旗のデザインに込めたわけです。

党旗から国旗へ

そして1973年9月24日、PAIGC はギニアビサウの独立を一方的に宣言しました。同時に、党旗をそのまま新国家の国旗として採用します。

独立運動の旗が、そのまま国の旗になる。アフリカ・アジアの独立国の典型的なパターンで、ギニアビサウもその系統です。

ただし、党旗にはあった「PAIGCの頭文字」が、国旗版では削除されました。これにより、「党のシンボル」から「国のシンボル」へ昇華された、ということになります。


アミルカル・カブラル:独立を見ずに暗殺された英雄

ギニアビサウ独立を語るうえで、欠かせないのがアミルカル・カブラルの存在です。

知識人で農業技師、独立闘争の指導者

カブラルは1924年9月12日、ポルトガル領ギニア(現在のギニアビサウ)のバファタで生まれました(両親はともにカーボベルデ・サンティアゴ島出身で、少年期に家族でカーボベルデへ移住)。リスボンの大学で農業工学を学び、ポルトガル領アフリカで農業技師として働きながら、独立運動の理論を練り上げました。

彼の独立思想は、武装闘争と並行して解放区での教育・医療・行政を建設すること、「アフリカ人による、アフリカ人のための国家」を目指すこと、植民地支配だけでなくアフリカ内部の社会変革も視野に入れること、という内容でした。当時のアフリカ独立運動の理論家としてもっとも洗練された思想を持ち、世界中の独立運動家から尊敬を集めた人物です。

1973年1月20日、暗殺

ところが、1973年1月20日、カブラルはギニア・コナクリ(隣国の首都)で、ポルトガル工作員に通じる仲間によって暗殺されてしまいます。49歳の若さでした。

独立まで、あと8ヶ月。PAIGCを設立し、20年近い独立運動を率いてきた人物が、独立を見ずに殺されたのです。この衝撃のなかで、PAIGC は彼の遺志を継いで戦い続け、1973年9月24日に独立を宣言します。

つまりギニアビサウ国旗は、カブラルが見ることのできなかった独立を、彼が設計した党旗のもとに掲げた、という、深い哀悼のシンボルとしての意味も持っています。


カーボベルデとの「兄弟関係」

PAIGC の正式名は「ギニアとカーボベルデの独立アフリカ党」、つまり両国合同の独立運動でした。

つまりカブラルは、ギニアビサウとカーボベルデを、ひとつの国家として独立させるという構想を持っていたんです。

独立後の状況

1973年9月24日にギニアビサウが独立し(PAIGC党旗をそのまま国旗化)、1975年7月5日にはカーボベルデが独立しました(同じくPAIGC党旗ベースの国旗)。

つまり両国は独立直後、ほぼ同じデザインの国旗を使っていました(カーボベルデの旧国旗1975-1992年と、現在のギニアビサウ国旗を並べると、ものすごく似ています)。カブラルの統一国家構想を、国旗で表現していたわけです。

1980年クーデタで決別

ところが1980年11月14日、ギニアビサウでジョアン・ベルナルド・ヴィエイラによる軍事クーデタが発生します。カーボベルデ系の指導者ルイス・カブラル(アミルカルの異母弟)を倒し、両国の統合構想は完全に消滅しました。

カーボベルデは1992年に国旗をまったく違うデザイン(青地に10の星)に変更します。ギニアビサウだけが、PAIGC党旗ベースの旗を今も使い続けている、という流れです。

兄弟関係の片方は別れて、もう片方は元のままを保ち続けた。独立後アフリカの国家関係の難しさを、両国の国旗の変遷が物語っています。


黒い星:「アフリカの黒い星」

ギニアビサウ国旗の真ん中の黒い星は、世界の旗のなかで重要な系譜を持っています。

「アフリカの黒い星(Black Star of Africa)」と呼ばれるこのシンボルは、マーカス・ガーヴェイが1919-1922年に運営したブラック・スター・ライン(黒人による海運会社)に由来する、アフリカ人民の解放と自立のシンボルです。

このシンボルは、ガーナ(1957)の黒い五芒星、ギニアビサウ(1973)の黒い五芒星、サントメ・プリンシペ(1975)の2つの黒い星など、汎アフリカ運動と関係の深い国々の国旗に登場します。

ギニアビサウの黒い星は、「ガーナとともに、アフリカ解放の流れに連なる」という宣言です。1973年の独立は、1957年のガーナから始まったアフリカ独立の波の延長線にある、というメッセージが、星の色で示されているわけです。


まとめ:独立を見れなかった指導者の旗

今回のギニアビサウ国旗のまとめです。

  • 縦の赤帯(中央に黒い星)に、横の黄・緑の帯
  • 赤は独立闘争の血、黒星はPAIGCとアフリカ人民、黄は北部サバンナ、緑は南部森林
  • 元はPAIGC(ギニアとカーボベルデの独立アフリカ党)の党旗で、頭文字「PAIGC」を削除して国旗化
  • PAIGCは1956年設立、創立者はアミルカル・カブラル(ポルトガル領ギニア=現ギニアビサウのバファタ生まれ、両親はカーボベルデ・サンティアゴ島出身の農業技師・理論家)
  • 1961年に党旗制定、ガーナとギニアの汎アフリカ色を参考にした
  • 1973年1月20日、カブラル暗殺(独立宣言の8ヶ月前)
  • 1973年9月24日、独立を一方的に宣言、1974年9月10日にポルトガルが正式承認
  • カーボベルデとは合同独立運動の兄弟関係、1980年のクーデタで決別、1992年にカーボベルデは旗を一新
  • 黒い星はガーナ・サントメ・プリンシペとも共有する「アフリカの黒い星」

設計者が独立を見ることなく旗が国旗になった。ギニアビサウの旗は、カブラルという独立思想家の足跡そのものを背負った、世界の旗のなかでもとくに思いの深い1枚です。