赤・金・緑の横三色のなかに、黒い五芒星。ガーナの国旗です。サブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)で最初に独立した国として、その旗は汎アフリカ主義の象徴として、世界中の独立運動に大きな影響を与えました。今回はそんなガーナ国旗の話です。


まずは構成のおさらい

ガーナ国旗は、上から赤、金(中央に黒い五芒星)、緑の横三色にシンボルを加えた構造です。3色はエチオピア国旗と同じ「汎アフリカ色」で、その中央に黒い星を置いた、ぱっと見「アフリカの独立国らしさ」を凝縮したような旗です。

色とシンボルの意味は、次のとおりです。

  • :独立闘争で流された血
  • :国の鉱物資源(独立前の名前ゴールド・コーストが示すように、金がたくさん採れる土地)
  • :森林、自然、農業の豊かさ(特にカカオ)
  • 黒い星:アフリカ人の解放と自立のシンボル

それぞれの色と星に明確なメッセージがあって、独立した黒人国家としての存在を、シンボル1つ1つにくっきりと刻んでいます。


サブサハラ・アフリカで「最初に」独立した国

ガーナ国旗の話は、ガーナ独立の日である1957年3月6日から始めるのが、いちばんわかりやすいです。

それまでガーナは、イギリスの植民地ゴールド・コーストでした。「ゴールド・コースト」というそのままの名前から、金が豊富に採れる地域として、ヨーロッパ列強の関心を集め続けてきた土地です。

そして第二次大戦後の独立運動の高まりのなかで、1957年3月6日、ついにイギリスから独立します。サハラ砂漠以南のアフリカ(サブサハラ・アフリカ)で、植民地時代を経て独立を果たした最初の国となりました。

アフリカ独立時代の幕開け。その第1号がガーナだった、という歴史的なポジションは、ガーナを語るうえで欠かせません。

ちなみに同じ日に、国名も「ゴールド・コースト」から「ガーナ」へ変更されました。「ガーナ」は、西アフリカに8〜13世紀ごろ存在した古代王国ガーナ王国にちなんだ命名で、ヨーロッパに名づけられた名前を捨て、自分たちのルーツに戻ろうという意思の表れでした。


デザイナーは、女性の教師であり芸術家

ガーナ国旗をデザインしたのは、テオドシア・サロメ・オコー(Theodosia Salome Okoh、1922-2015)です。

ガーナ人の女性で、職業は教師、専門は美術でした。エリート校アチモタ・スクールで3年間、美術の訓練を受けた経歴を持つ、当時のガーナとしては希少な女性アーティストです。

1957年の独立を控え、政府は新国旗のデザインを公募しました。多くの応募作のなかから、彼女のデザインが選ばれたのです。

サブサハラ初の独立国の旗を、女性がデザインした。これだけでもうけっこうな快挙です。アンティグア・バーブーダのレジナルド・サミュエル、アメリカのボブ・ヘフト、UAEのアル・マイナなどと並んで、ガーナは「個人がデザインした国旗を持つ国」のひとつです。

オコーは旗のデザインのほか、ガーナのホッケー協会の創設にも関わり、女性スポーツの普及などにも貢献しました。2015年に92歳で亡くなるまで、ガーナ文化の象徴的な人物として活動を続けました。


「黒い星」は、マーカス・ガーヴェイの船から来ている

ガーナ国旗の最大の見どころが、中央の黒い五芒星です。これは、ブラック・スター・ライン(Black Star Line)という、20世紀初頭の伝説的な船会社の旗から取られています。

ブラック・スター・ラインとは

ジャマイカ生まれのアフリカ系米国人指導者マーカス・ガーヴェイ(Marcus Garvey、1887-1940)が、1919-1922年に運営した黒人による海運会社です。

彼が掲げたビジョンは「アフリカ回帰運動(Back-to-Africa)」でした。アメリカ大陸に連れてこられた黒人の子孫を、アフリカに帰そうという壮大な計画です。そのために、黒人が所有・運営する船会社を作り、大西洋を越えてアフリカと交易する、というプロジェクトを始めたのです。

会社の旗は、黒地に黒い船、または黒い星で、黒人の自立、黒人の航海、黒人の繋がりを象徴していました。

ブラック・スター・ライン自体は3年で経営破綻して終わりますが、「黒い星=アフリカ系の解放と自立のシンボル」として、思想は世界中に広まりました。

クワメ・エンクルマがガーヴェイの思想を受け継いだ

ガーナ独立を主導した初代大統領クワメ・エンクルマ(Kwame Nkrumah、1909-1972)は、1930年代にアメリカ留学中、マーカス・ガーヴェイの著書と思想に強い影響を受けました。「ガーヴェイの本ほど、私に強い影響を与えた本はない」というエンクルマの言葉が、いくつかの伝記に残っています。

ガーナが独立したとき、ガーヴェイへの敬意として、ブラック・スター・ラインの黒い星を国旗の中央に置くことが決定されました。アフリカ人の解放を象徴する、もっとも力強いシンボルが選ばれたわけです。

ちなみにガーナのサッカー代表チームの愛称も「ブラック・スターズ(Black Stars)」です。「黒い星」が国全体のアイデンティティになっているのがわかります。


エチオピアの3色+黒い星=「汎アフリカ色」のテンプレ

ガーナ国旗のもうひとつの世界史的意義は、「汎アフリカ色」を世界に定着させたことです。

赤・金(黄)・緑の3色は、もともとエチオピア国旗から来ています。エチオピアはアフリカでほぼ唯一、植民地化されなかった国で、その3色は「アフリカの誇り」のシンボルでした。

ちなみにエチオピア国旗の並びは上から「緑・黄・赤」ですが、ガーナはこれをあえて上下逆転して「赤・金・緑」にしています。敬意を表しつつ、自分たちの並び順で再解釈する。独立アフリカの最初の旗らしい、ちょっと粋なアレンジです。

ガーナはエチオピアへの敬意を表しつつ、そこに「黒い星」を加えて新しいテンプレートを作りました。その後、独立した他のアフリカ諸国の多くが、エチオピアの3色(赤・黄・緑)と、ガーナが追加した黒(または黒い星)を国旗に採用していきます。これが、いまでは「汎アフリカ色」と呼ばれる赤・黄・緑+黒の組み合わせです。

採用国の例としては、セネガル(1960独立)、マリ(1960独立)、ギニア(1958独立)、カメルーン(1960独立)、コンゴ共和国(1960独立)、ベナン、ブルキナファソ、トーゴなどがあります。

エチオピアからガーナ、そして他の独立アフリカ諸国へ。この汎アフリカ色の系譜は、ガーナを中心に世界に広がっていきました。


1964-1966年、「党の旗」に置き換わっていた時期

意外と知られていない話を最後に紹介します。

ガーナ国旗は、1957年から現在まで「ずっと同じ」というわけではありません。1964年(一部資料では1962年)から1966年まで、金の帯が白に置き換えられた時期があります。

理由は、当時のガーナで一党独裁化が進んだことです。1964年の憲法改正でエンクルマ率いる会議人民党(CPP:Convention People's Party)が唯一の合法政党となり、国家=党という体制に突入します。CPPの党色は赤・白・緑で、国旗もこれに合わせて真ん中を白に変えました。つまり、国の旗を党の旗に近づけたわけです。

しかし1966年2月24日のクーデタでエンクルマが失脚すると、新政権の国民解放評議会(NLC)は即座に元のデザイン(赤・金・緑)に戻します。党の旗から、国民全体の旗を取り戻す。テオドシア・オコーが描いた本来の国旗への回帰、という強い政治的メッセージでした。

つまり現在のガーナ国旗は、1957年のオリジナルから、1964年に党色版へ変更され、1966年のクーデタで復活する、という波乱の経緯を持っています。国旗が「党の旗」になりかけ、それを国民が取り戻した。アフリカ独立期の政治史を、デザインの変遷がそのまま物語っています。


まとめ:1人の女性、1人の活動家、1つの国の物語

今回のガーナ国旗のまとめです。

  • 赤・金・緑の横三色に、金の帯の中央に黒い五芒星を置く
  • 1957年3月6日採用(サブサハラ・アフリカで最初の独立日)
  • デザイナーは女性教師・芸術家のテオドシア・オコー
  • 赤は独立の血、金はゴールド・コースト時代からの鉱物資源、緑は森林とカカオ、黒星はアフリカ解放を表す
  • 黒い星は1919-1922年のマーカス・ガーヴェイの「ブラック・スター・ライン」(黒人海運会社)の旗から
  • 初代大統領クワメ・エンクルマがガーヴェイ思想に深く影響され、独立時の国旗に黒い星を採用した
  • エチオピアの3色と黒い星が「汎アフリカ色」のテンプレートとして他のアフリカ独立国に波及した
  • 1964-1966年は与党CPP(会議人民党)の党色に合わせて金の帯を白に変更(一党独裁化と連動)、1966年クーデタでオリジナルに復活
  • サッカー代表「ブラック・スターズ」の愛称も同じ星から

1人の女性が描いた旗が、1人の活動家のシンボルを取り込み、独立アフリカの新しい時代を象徴した。ガーナの国旗は、アフリカ独立の象徴そのものとして、ものすごく密度の高い1枚です。