青・黒・白の横三色。エストニアの国旗です。シンプルな組み合わせですが、「黒」が入っているのがちょっと珍しい。世界の国旗で黒が中心にしっかり入っているのは、わりと少数派です。しかもこの旗、もともと大学生のサークル旗だったって知っていますか。今回はそんなエストニア国旗の話です。


まずは構成のおさらい

エストニア国旗の構成は、次のとおりです。

  • 横三色:上から青・黒・白
  • 配色:3色とも均等な幅で、紋章や模様はなし

北欧によくある十字構造ではないので、お隣のフィンランド・ノルウェー・アイスランドなどとは見た目がまったく違います。

色の意味は次のように解釈されています。青は空、バルト海、湖、そして忠誠と希望を表します。黒はエストニア人の苦難の歴史、そして祖国の肥沃な黒い土を表します。白は教育と精神性、冬の白い雪、夏の白夜、そしてエストニアを象徴する白樺の樹皮を表します。

黒土・白樺・白夜など、北欧の自然そのものが3色に重ねられているのが、エストニアらしい解釈です。


旗は「学生のサークル」から生まれた

エストニア国旗のいちばん面白いところは、「国の前に、大学のサークルの旗だった」ということです。

時は1881年9月29日。当時のエストニアはロシア帝国の支配下にあり、独立国家ではありませんでした。タルトゥ大学(エストニア最古の大学)で、「ヴィロニア(Vironia)」というエストニア人学生の組合が結成されます。

この組合は、エストニア語の保護、エストニア文化の維持、民族意識の高揚を目的とした学生団体でした。ロシア化政策(ロシア帝国による文化弾圧)に対抗するために、「自分たちのアイデンティティを守るための場」として作られたものでした。

そして結成のとき、彼らがサークル旗として選んだのが、青・黒・白の横三色です。これが、後の国旗の原型になります。

「1人のデザイナー」ではなく「学生たちの合議」で生まれた旗、というのもポイントです。民族の声から自然に生まれた旗、という性質を最初から持っていたわけです。


公の場に掲げられたのは、半年後

旗を作っても、すぐに公開できる状況ではありませんでした。ロシア帝国の支配下では、民族色を出す活動は警戒の対象だったからです。

ヴィロニアは慎重に時期を選び、1882年4月7日、タルトゥで開かれた学生パレードでようやく旗を公開しました。これが最初の「公の掲揚」となります。

さらに1884年6月4日には、秘密裏に祝福式(dedication ceremony)が行われました。場所はタルトゥから南西へ車で1時間ほどのオテペー(Otepää)村の牧師館です。地元の牧師ブルカルド・シュペルリンクの招きで、近郊ヴァルガから来た牧師ルドルフ・カラスが、青・黒・白の旗を祝福したと伝えられています。「いずれエストニアが独立したときの旗にしたい」という、当時の学生たちの強い思いが込められた式典でした。

このときに使われた最初の旗は、その後長く隠され、現在もエストニア国立博物館に保管されています。140年以上前の、まさに最初のエストニア旗がいまも残っている、というのは旗の歴史としてかなり貴重です。


1918年、独立とともに国旗になる

第一次世界大戦が終わりに近づいた1918年2月24日、エストニアは、ロシア帝国の崩壊とドイツ占領のあいだの混乱のなかで、独立を宣言しました。

このとき初めて、ヴィロニアが1881年に作った青・黒・白の旗が、国の旗として公式に掲げられました。学生サークルの旗が、37年の時を経て、国家の旗になった瞬間です。

1920年7月4日には憲法に明記され、正式な国旗としての地位が確定しました。民の願いから生まれた旗が、ちゃんと国旗になる。これは、なかなか美しい流れですよね。


ソ連時代、掲げると逮捕された

ところが1940年、エストニアはソビエト連邦に併合されます(モロトフ・リッベントロップ条約の秘密議定書を経て)。新しい支配のもとで、青・黒・白の旗は禁止され、代わりに赤地に鎌と槌、そして青と白の波線を入れたソ連系エストニアの旗が押し付けられました。

そしてこの50年間、青・黒・白の旗を掲げることは「犯罪」でした。旗を掲げただけで逮捕され、隠し持っているだけでシベリアの収容所行きとなり、一部の人は収容所で亡くなりました。

それでも、エストニア人にとって「本当のエストニアの旗」は青・黒・白でした。地下で密かに守られ、海外のエストニア系コミュニティでは公然と使われ続けます。禁じられた50年間も、旗は人々の心の中で生き続けた。そういう物語を背負った旗です。


1988-1990年、ふたたび空を舞う

ソ連の崩壊が近づいた1980年代後半、エストニアでは民族主義運動が高まります。ペレストロイカの流れのなかで、それまでタブーだった青・黒・白の旗が、徐々に公の場に戻ってきました。

復活は段階的に進みました。1988年6月23日、エストニア政府が旧色(青・黒・白)の使用を承認します。1988年10月20日には旗自体を再採用し、1990年5月8日にソ連時代の旗を完全に置き換え、1990年8月7日に正式に「国旗」として再宣言しました。そして1991年8月20日、エストニア共和国として独立を回復します。

つまり、1881年のサークル旗誕生から数えて109年(途中1918-1940年の国旗化、1940-1990年のソ連時代を挟む)、長い眠りを経て、青・黒・白がふたたび国の旗として完全に戻ったわけです。


まとめ:学生の夢が、109年の時を経て再び国旗として蘇った

今回のエストニア国旗のまとめです。

  • 青・黒・白の横三色(北欧十字ではなくシンプルな三色構成)
  • 青=空・海・希望、黒=苦難の過去・黒土、白=教育・白夜・白樺・雪
  • 1881年9月29日、タルトゥ大学のヴィロニア学生組合が結成時にサークル旗として採用
  • 1882年4月7日にタルトゥ学生パレードで初公開、1884年6月4日にオテペー村の牧師館で秘密裏の祝福式(牧師ルドルフ・カラスが祝福)
  • 1918年2月24日のエストニア独立とともに国旗化、1920年憲法で公式採用
  • 1940年のソ連併合で禁止、50年間「掲揚で逮捕される旗」となる
  • 1988-1990年に段階的に復活、1990年8月7日に正式に国旗として再宣言

学生たちが作ったサークル旗が、109年かけて国の旗になった。エストニアの旗は、草の根の願いがじっくり時間をかけて結実する例として、世界の国旗のなかでも特別な1枚です。