白・赤の横二色のなかに、左から青い三角形が食い込む。チェコの国旗です。シンプルなデザインに見えますが、その背景には「約束を破った旗」というドラマがあります。1993年、チェコスロバキアが解散したとき、両国は「旧国旗を使わない」と合意したのに、チェコは結局そのまま使い続けたという、ちょっと意外な歴史を持つ1枚。今回はそんなチェコ国旗の話。


まずは構成のおさらい

チェコ国旗の構成は、次のとおりです。

  • 横2本の帯:上から白・赤
  • 三角形:旗竿側から中央まで伸びる青い二等辺三角形

色とその意味は、次のとおりです。

  • :ボヘミアの紋章(赤地に銀の獅子)の銀の部分、空、純粋
  • :ボヘミアの紋章の赤い地、独立のために流された血(モラビアの伝統色は青や赤白市松だが、国旗の白+赤は基本的にボヘミア紋章由来)
  • :もとはスロバキアを表していたが、現在はモラビアを象徴する解釈や、中立性・主権としても語られる

チェコを構成する3つの地域、すなわちボヘミア・モラビア・(かつては)スロバキアを、3色で表現したデザインです。


1918年、ポーランドと同じだった

チェコ国旗の物語は、1918年のチェコスロバキア独立から始まります。

チェコスロバキアの誕生

1918年10月28日、トマーシュ・マサリクらがオーストリア=ハンガリー帝国からの独立を宣言しました。こうしてチェコスロバキア、すなわちチェコ人・スロバキア人・ルテニア人の共和国が成立します。

新国旗が必要となり、最初に採用されたのは、白(上)と赤(下)の単純な横二色でした。白はボヘミアの伝統色、赤は独立のための犠牲を表します。

でも、ポーランドとほぼ同じ

ところが、この旗はほぼ完全にポーランド国旗と同じでした。ポーランドは白(上)・赤(下)の横二色で、新生チェコスロバキアもまた白(上)・赤(下)の横二色だったのです。

せっかく独立した新国家の旗が隣の国とほぼ同じというのは、国際的な識別性で大問題でした。

1920年3月30日、青三角を追加

そこで、1920年3月30日、青い三角形が旗竿側に追加されました。青は当時チェコスロバキアの一部だったスロバキアを象徴し、チェコ(白と赤)とスロバキア(青)の融合を表現するとともに、ポーランド国旗との明確な差別化を実現しました。

3地域の統合と識別性の確保を、両方一度に解決する設計でした。


ナチス占領時代の苦難

チェコスロバキア国旗は、1939年から1945年のナチス・ドイツ占領下で禁止されました。

ボヘミア・モラビア保護領

1939年3月15日、ナチス・ドイツがチェコを侵略しました。チェコは「ボヘミア・モラビア保護領」としてドイツ占領下に置かれ、スロバキアはナチスの傀儡国家として「独立」します(実質はドイツ支配)。

そしてチェコ部分では、青三角の旗が禁止され、代わりに「白・赤・青の汎スラブ系横三色」がボヘミア・モラビア保護領旗として用いられました。これは「ロシア風」ではなく、もともとチェコ周辺の汎スラブ色伝統に由来する旗で、保護領政府が青三角の旗を使えなくなった代わりに、過去の提案などをベースに制定したものです。

民族の象徴が占領下で別の旗に置き換えられたという、20世紀の戦争の悲劇のひとつです。

1945年、復活

1945年5月、ナチス・ドイツの敗戦によりチェコスロバキアが解放されました。同年、1920年版の青三角の旗が復活し、以降、共産党時代(1948-1989)も含めて、国旗は変わらずに継続使用されました。

ナチスが消した国旗が解放と共に戻ってきたという、複雑な歴史を経た旗です。


1993年ビロード離婚 ── 「約束を破った」旗

そして1993年1月1日、ビロード離婚でチェコとスロバキアが平和的に分離します。

「両国とも旧旗を使わない」協定

1992年の分離合意の一部として、「チェコとスロバキアは、両国とも旧チェコスロバキア国旗を使用しない」という国家シンボル法の取り決めがありました。

理由は、「両国の対等な分離」を示すためです。片方が旧国旗を使うと、もう片方が「正統な継承者ではない」ように見えてしまう、だから対等に新旗を作って分かれるのが筋だ、という考えでした。

スロバキアは、スロバキア記事で書いたとおり、白青赤に紋章を加えた新旗を制定しました。

しかしチェコは…

ところが、チェコは結局、1920年版の旗をそのまま継続使用することを決定します。1993年1月1日のビロード離婚以降も同じ旗を使い続けたのです。背景には、「我々は実質的にチェコスロバキアの後継国家だ」という意識がありました。

これに対して、スロバキア側は強く抗議します。両国とも旧旗を使わないと約束したじゃないか、というわけです。しかしチェコ政府は「国民が慣れ親しんでいる旗を変更する理由はない」として変更を拒否し、結果として現在まで継続使用されています。

連邦解消時の取り決めに反する形になったこれは、外交的にはちょっとデリケートな話で、チェコ・スロバキア関係に長く影を落とした問題でもありました(連邦時代の国家シンボル法の規定を、解体後のチェコ共和国が自国の国内法として新たに上書きした、という法的経緯です)。

ただ現在では、両国とも欧州連合とNATOに加盟し、実質的に和解しています。兄弟国家として、それぞれの旗で進んでいるというのが現代の姿です。


「青」の意味の変化

チェコ国旗の青三角の意味は、時代と共に変わってきました。

1920-1992年:スロバキアの色

チェコスロバキア時代、青はスロバキアを象徴していました。ボヘミア(白)にモラビア(赤)、スロバキア(青)を合わせてチェコスロバキアとなる、3地域の統合を表すデザインだったのです。

1993年-現在:中立性と主権

スロバキアが分離した後、青の意味は再定義されました。チェコ共和国の中立性、主権の維持、そして空や自由を表すものとされています。

シンボルの形は変わっていないが、意味は変わったというのは、世界の国旗のなかでも興味深い変化です。


チェコという国

チェコの基本情報です。

  • 正式名:チェコ共和国(Česká republika、英語名は Czechia または Czech Republic)
  • 首都:プラハ(ヴルタヴァ川、別名モルダウが流れる)
  • 面積:約7.9万km²
  • 人口:約1,050万人
  • 公用語:チェコ語(西スラブ語派)
  • 宗教:歴史的にはローマ・カトリック、現代は無宗教が多数派

プラハ ── 「百塔の街」

首都プラハは、「百塔の街」として知られる、ヨーロッパでもっとも美しい都市のひとつです。世界最大の古城(ギネス世界記録)であるプラハ城、30体の聖人像が並ぶ14世紀の石造橋カレル橋、ティーン教会や天文時計のある旧市街広場などがあり、旧市街全域がユネスコ世界遺産に登録されています。

「チェキア(Czechia)」 という英語名

2016年、チェコ政府は英語短縮名として「Czechia」を公式採用しました。「Czech Republic」は長すぎること、そして多くの国に短縮形があること(フランスはフランス共和国の、ドイツはドイツ連邦共和国の短縮形)が理由です。

ただし、「Czechia」は普及が遅れています。国内でも賛否両論があり、国際的にはまだ「Czech Republic」が一般的で、日本語の「チェコ」もそのまま継続して使われています。

国の英語名を変えるのはなかなか大変だという事例でもあります。


ちなみに:モルダウとスメタナ

チェコ文化を象徴する作品が、ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana、1824-1884)の交響詩「我が祖国」です。6つの楽章からなる連作交響詩で、第2楽章「ヴルタヴァ(モルダウ)」が最も有名です。チェコ独立運動の精神的支柱として作曲され、毎年5月12日(スメタナの命日)、プラハの春国際音楽祭の開幕で演奏されます。

国旗、国歌、そして国の楽曲「モルダウ」。これらがチェコのアイデンティティを形作る三本柱になっています。


まとめ:3地域の象徴を、シンプルに

今回のチェコ国旗のまとめです。

  • 白(上)・赤(下)の横二色に、旗竿側から中央まで伸びる青い三角形
  • 1920年3月30日、チェコスロバキア時代に制定(ポーランド国旗との差別化のため青三角を追加)
  • 1993年1月1日のビロード離婚以降、チェコ共和国がそのまま継続使用
  • 白と赤はボヘミアの紋章(赤地に銀の獅子)、青はもとはスロバキア、現在はモラビアや中立性・主権とも解釈
  • 1939年から1945年のナチス占領下では禁止、保護領旗(白・赤・青の汎スラブ色横三色)が代わりに用いられ、1945年の解放と共に復活
  • ビロード離婚時の連邦法では旧国旗の継続を禁じる規定があったが、独立後のチェコ共和国が国内法として継続使用を決定(スロバキア側は反発)
  • スロバキア側は当時抗議、現在は両国ともEU・NATO加盟国として和解
  • 2016年、英語短縮名「Czechia」を公式採用したが、まだ普及途上
  • 首都プラハは「百塔の街」、ユネスコ世界遺産

約束を破ってでも残された国民の旗。チェコの国旗は、歴史的な複雑さを、シンプルなデザインに込めた1枚です。