白と赤の横二色、左上に青い正方形と1つの白い星。チリの国旗、通称「ラ・エストレジャ・ソリタリア」(孤独な星)です。「テキサス州旗に似ている」とよく言われますが、実はチリの方が22年も古いのです。テキサスがチリを参考にしたかは諸説ありますが、少なくとも「テキサスのパクリ」ではないことは確かです。そして白い星は、先住民マプチェ族の聖なる星「金星」でもあります。今回はそんなチリ国旗の話です。


まずは構成のおさらい

チリ国旗の構成は、次のとおりです。

  • 上半分:白
  • 下半分:赤
  • 上半分の旗竿側:青の正方形(白の帯と同じ高さ)
  • 青の正方形のなか:白い五芒星

色とシンボルの意味は、以下のとおりです。

  • :アンデス山脈の雪
  • :独立闘争で流された血、勇気
  • :空と太平洋。チリ国土に沿う広大な海
  • 白い星:金星。進歩への導き、独立国家のシンボル

山・海・空・星の4要素を、4つの色で表現した、シンプルだが完成度の高いデザインです。


「テキサス州旗のパクリ」?──実はこっちが古い

チリ国旗を見たことのある人は、「あれ、これテキサス州旗じゃない?」と思ったことがあるかもしれません。

比較

チリ国旗テキサス州旗
上半分青の縦帯(旗竿側)
下半分白+赤の横帯
青の領域上半分の旗竿側(正方形)旗の左半分すべて
白い星白い星
採用1817年10月18日1839年1月25日

色構成は似ていますが、青の領域とレイアウトが違うというのが正確な比較です。チリは正方形のカントン、テキサスは縦帯全面です。

時系列

歴史的には、チリ国旗のほうが22年古いことになります。チリ国旗の採用は1817年10月18日、テキサス州旗の採用は1839年1月25日です。

つまり、「テキサス州旗がチリ国旗のパクリ」という説はあり得ても、「チリ国旗がテキサス州旗のパクリ」は時系列的に不可能です。

ただし、テキサス共和国(1836-1845)の指導者たちが、チリ国旗を意識して設計したという確実な証拠はありません。テキサス州旗(当時はテキサス共和国旗)のデザインはピーター・クラッグ(Peter Krag)が描き、当時のミラボー・B・ラマー大統領が署名・承認しました(1839年)。同時代の記録にもチリ国旗への言及はほぼなく、「ローン・スター・フラッグ(一つ星の旗)」というコンセプトは、当時の独立国家でよく見られる発想でした。

両者とも独立期の自然な発想として、似たデザインに到達したというのが、現代の歴史家の解釈です。チリの方が古いが、テキサスがそれをコピーしたわけではない。これが結論であり、世界の国旗にありがちな「偶然の類似」のひとつです。


チリ独立戦争と「ラ・パトリア・ビエハ」

チリ国旗の歴史を語るには、チリ独立戦争(1810-1826)を理解する必要があります。

スペイン植民地時代

チリは、1541年から1818年まで、約280年間スペイン植民地でした。ペルー副王領に属するチリ総督領(Capitanía General de Chile)で、マプチェ族との境界紛争を抱えていたため、独自の軍事・行政権を持つ「総督領」として運営されていました。首都はサンティアゴに置かれ、スペインから派遣される総督(Capitán General)が支配していました。

1810年9月18日、独立運動開始

1810年9月18日、サンティアゴで開催された市議会で、自治政府の樹立が宣言されました。チリ独立運動の始まりです。当時はまだ「独立」ではなく「自治」で、スペイン王フェルナンド7世の不在を理由とした暫定政府でしたが、実質的には独立への第一歩でした。

1812年、最初の旗「ラ・パトリア・ビエハ」

1812年7月4日(米国独立記念日と同日です)、最初の独立期チリの旗が制定されました。青・白・黄の横三色で、「ラ・パトリア・ビエハ(La Patria Vieja、古き祖国)」の旗と呼ばれます。現在のチリ国旗とは全く違うデザインでしたが、これが独立への意志の最初の表明でした。

1814年、スペイン側の巻き返し

1814年10月、ランカグアの戦いで、スペイン王軍が独立軍を破り、独立運動は一時的に挫折します。独立指導者ベルナルド・オイヒンズはアルゼンチンに亡命し、「ラ・パトリア・ビエハ」の旗は使用禁止になりました。

1817年、独立軍の反撃

1817年2月12日、チャカブコの戦いで、アルゼンチンのホセ・デ・サン=マルティン将軍とオイヒンズが、アンデス山脈を越えてスペイン軍を撃破しました。これによりチリ独立が事実上確立し、新国家の象徴として新国旗が必要になりました。

1817年10月18日、現代国旗の採択

1817年10月18日、現在のチリ国旗が正式採択され、以来、約200年間ほぼ変わらず使用されています。

設計者は確定していませんが、軍医アントニオ・アルコス(Antonio Arcos)が原案を描き、軍事大臣ホセ・イグナシオ・センテノ(José Ignacio Zenteno)が決定を推進したという説が一般的です(諸説あり)。1817年から続く、世界の国旗のなかでもかなり古い部類というのが、チリ国旗の特徴です。


「孤独な星」── 金星とマプチェ族

国旗の中央に1つだけある白い星は、スペイン語で「La Estrella Solitaria(ラ・エストレジャ・ソリタリア、孤独な星)」と呼ばれます。

「孤独な星」の意味

この呼称は、5つの先端を持つ1つの星に由来します。複数の州が連合する国家ではなく、1つの独立国家を象徴するもので、テキサス州と同じ「ローン・スター」の概念であり、チリ国家の単一性を表しています。

マプチェ族と金星

そして、この星の起源には、もうひとつ深い意味があります。マプチェ族(Mapuche)は、チリ南部の先住民です。「マプチェ」は「土地の人々」(マプドゥングン語)を意味し、スペイン植民地化に最後まで抵抗した民族で、現代でもチリの人口の約9%を占めています。

マプチェ族の伝統文化には、グニェルベ(Guñelve)と呼ばれる8つの先端を持つ星があります。これは金星を象徴するシンボルで、「明けの明星」として農作業の時期を告げ、マプチェの精神文化の中心となってきました。

チリ国旗の白い星は、このマプチェ族のグニェルベの簡略版(8稜から5稜へ)として設計されたと考えられています。先住民の文化を独立国家のシンボルに取り入れ、スペイン人と先住民の融合した新国家を表現したものです。国旗の中央に先住民の聖なる星を置くという設計判断は、ラテンアメリカの独立期の知的指導者たちの先進性を表しています。


ベルナルド・オイヒンズ ── チリの建国の父

チリ国旗を語るうえで、ベルナルド・オイヒンズ(Bernardo O'Higgins、1778-1842)は不可欠の人物です。

アイルランド系チリ人

オイヒンズは、アイルランド系の父と、チリの先住民系の母を持つ混血でした。父アンブロシオ・オイヒンズはアイルランド出身のスペイン副王、母はチリ・チジャンの先住民系女性です。「O'Higgins」というアイルランド姓は、チリで最も有名な名前のひとつになっています。

チリ独立の指導者

オイヒンズはチリ独立戦争を指導し、1817年のチャカブコの戦いで勝利して独立を達成しました。1818年から1823年まで初代チリ最高指導者を務め、1822年には国旗を法律で確定しています。

「チリ独立の父」として、現在も尊敬される人物です。チリの通貨単位は歴史的に「ペソ」ですが、肖像にはオイヒンズが登場します。首都サンティアゴの中心通りは「アヴェニーダ・リベルタドール・ベルナルド・オイヒンズ」と名付けられ、多くの学校・施設にも彼の名前が冠されています。国旗とオイヒンズは、チリ独立そのものといえるほど、密接に結びついています。


「南米のロケット」── チリの地理

チリは、世界でもっとも特異な地形を持つ国のひとつです。

細長い国

南北の長さは約4,300km(北海道から沖縄よりずっと長い距離です)、東西の幅は平均約180km(最も狭いところで約100km)です。国土の形は「ロケット」や「唐辛子」に例えられ、世界でもっとも細長い国として知られています。

多様な地理

この細長さゆえに、チリは1つの国に多様な気候・地形を抱えています。北部はアタカマ砂漠(世界最乾燥の砂漠)、中央部は地中海性気候(首都サンティアゴ周辺)、南部はパタゴニア(氷河地帯)で、東にはアンデス山脈、西には太平洋が広がります。国旗の白(アンデスの雪)と青(太平洋)は、この国土の両端の自然を文字どおり表現しているわけです。

「世界の屋根」と「世界の終わり」

北部のアタカマ砂漠には、アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(ALMA)などの世界最高水準の天文台があります。一方、南部のプエルト・ウィリアムズは世界最南端の街です。地球の自然の極北極南の両方を1つの国に持つという、地理的に稀有な国です。


1973年、ピノチェト独裁と国旗

チリ国旗を語るうえで、1973年から1990年の独裁時代にも触れておきます。

サルバドル・アジェンデ

1970年11月3日、サルバドル・アジェンデが、世界初の選挙で選ばれた社会主義大統領に就任しました。民主的に選ばれた社会主義者として、チリの社会主義改革を進めます。

1973年9月11日、軍事クーデタ

しかし1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍率いる軍事クーデタが起こります。アジェンデ大統領は大統領官邸モネダ宮殿(Palacio de La Moneda)で自決しました。爆撃される宮殿の中での最後の演説とともに、チリ近現代史で最も象徴的な瞬間となりました。以降、1990年まで17年間のピノチェト軍事独裁が続き、拷問・失踪・殺害といった多くの人権侵害が起こりました。

ラテンアメリカで最も悪名高い軍事独裁政権のひとつとして記憶されています。

国旗は変わらず

この激動の時期も、国旗は変わりませんでした。アジェンデ社会主義政権もチリ国旗を使用し、ピノチェト独裁政権も同じ国旗を掲げ、1990年の民主化後も変更はありませんでした。政治体制が変わっても、200年続く国の旗は変わらない。これは、チリらしい安定性です。


ちなみに:「太平洋戦争」の主役

チリの近現代史における「太平洋戦争(1879-1884)」は、第二次大戦の太平洋戦線のことではありません。チリ対ペルー・ボリビアの戦争で、チリが勝利し、ボリビアは海岸を失って内陸国化しました。

チリは南米の地域大国として、19世紀から強い影響力を持っていました。国旗の星が、その「南米の星」としての自負を表現しているとも読めます。


まとめ:マプチェの金星、南米の独立

今回のチリ国旗のまとめです。

  • 上半分白、下半分赤の横二色に、上半分旗竿側に青い正方形と白い五芒星
  • 1817年10月18日採用、約200年間ほぼ変更なし
  • 通称「ラ・エストレジャ・ソリタリア(孤独な星)」
  • 白はアンデスの雪、赤は独立の血、青は空と太平洋、星は金星と独立の導き
  • テキサス州旗より22年古いが、「パクリ」関係はない(両者とも独立期の自然な発想)
  • 白い星はマプチェ族のグニェルベ(金星のシンボル)の簡略版(8稜から5稜へ)
  • 1810-1826年のチリ独立戦争、1817年チャカブコの戦いで独立達成
  • 設計者は確定していないが、アントニオ・アルコスとホセ・イグナシオ・センテノが関与
  • ベルナルド・オイヒンズが国父(アイルランド系チリ人)
  • 国土は南北4,300kmの「世界でもっとも細長い国」
  • アタカマ砂漠(北、最乾燥)からパタゴニア(南、氷河)まで多様な自然
  • 1973-1990年のピノチェト独裁時代も国旗は変わらず

先住民の金星と、独立国家のロケット。チリの国旗は、南米でもっとも安定した200年の象徴として、独立の精神を1つの星に込めた1枚です。