青・白・緑・黄の4本の横帯を、真ん中で赤い縦帯が貫く。中央アフリカ共和国(CAR)の国旗です。シンプルに見えて、世界の国旗のなかでもユニークな構造をしています。汎フランス色(青・白・赤)と汎アフリカ色(赤・黄・緑)を、1枚の旗で融合しているのです。「フランスとアフリカは共に進むべき」という、初代大統領バルテルミー・ボガンダの理想が込められた設計です。今回はそんな中央アフリカ国旗の話です。
まずは構成のおさらい
中央アフリカ共和国国旗の構成は、ちょっと複雑です。
- 横4本の帯(上から):青・白・緑・黄
- 中央を縦に貫く:赤い縦帯
- 左上のカントン(青の帯):黄色い五芒星
色と要素の意味は、次のとおりです。
- 青:空、自由、偉大さ
- 白:平和、尊厳、純粋さ
- 緑:森林、希望、自然の富
- 黄:寛容、太陽
- 赤(縦帯):アフリカとフランス両方のために流された血
- 黄色い星:未来への導き、国民の団結
横4色に縦1色と星を組み合わせた、世界でも非常に独特なレイアウトです。
「フランス×アフリカ」の融合
中央アフリカ国旗の最大の特徴は、汎フランス色と汎アフリカ色を1枚の旗に統合していることです。
汎フランス色
青・白・赤は、フランス三色旗の色です。旧宗主国フランス、そして独立期のフランス共同体(Communauté française)を表します。
汎アフリカ色
赤・黄・緑は、エチオピアに由来する、独立アフリカ諸国の伝統色です。アフリカ大陸の連帯を表します。
両者を組み合わせると
両者を組み合わせると、青・白・緑・黄・赤の5色になります。これはフランス色とアフリカ色を重ね合わせたもので、青と白はフランス、緑と黄はアフリカ、そして赤はフランスとアフリカ両方の色にあたります。
重なる色である赤こそが、両者の血の絆である。これが、ボガンダの設計思想でした。
バルテルミー・ボガンダ ── 一人の哲学者の夢
中央アフリカ国旗をデザインしたのは、バルテルミー・ボガンダ(Barthélemy Boganda、1910-1959)です。現代中央アフリカの建国の父として、いまも国民から尊敬を集める人物です。
経歴
ボガンダは1910年4月4日、フランス領ウバンギ・シャリ(現中央アフリカ)に生まれました。両親は若くして亡くなり、父親はフランス植民地警察に殺害されたと伝えられています。その後、カトリック宣教師に保護されて教育を受け、やがてカトリックの司祭に叙階されました。サブサハラ・アフリカで初のカトリック司祭のひとりです。
後に司祭職を離れて政治家に転身し、1946年にはフランス国民議会議員に選出されます。アフリカ人として最初期のフランス議員のひとりでした。司祭から植民地解放運動の指導者へという、珍しい経歴を持つ人物です。
「ラテン・アフリカ合衆国」の夢
ボガンダは、単に中央アフリカの独立を目指しただけではなく、もっと大きなビジョンを持っていました。フランス領赤道アフリカ全土(中央アフリカ・コンゴ共和国・ガボン・チャドなど)を統合し、「ラテン・アフリカ合衆国(États unis de l'Afrique latine)」を作るべきだ、という構想です。
これがボガンダの1957年の構想でした。フランス語圏アフリカの巨大連邦、いわばアメリカ合衆国のような複数民族・複数文化の統合を目指したわけです。
しかし夢は実現せず
ところが1959年3月29日、ボガンダは飛行機事故で死去します。49歳の若さで、独立(1960年8月13日)の1年4ヶ月前のことでした。事故の原因については爆破説など諸説あります。
もしボガンダが生きていれば、もっと統合された大アフリカ連邦ができたかもしれない。そんな歴史のIFが、いまも語られます。
ボガンダの死後、フランス領赤道アフリカは別々の国として独立しました。チャドが1960年8月11日、中央アフリカ共和国が同年8月13日、コンゴ共和国が同年8月15日、ガボンが同年8月17日です。こうして「ラテン・アフリカ合衆国」の夢は実現しませんでした。
それでも、国旗だけはボガンダがデザインしたものがそのまま継承されました。「フランスとアフリカの融合」という彼の理想を、現代まで保ち続けています。
1958年12月1日、自治領発足とともに
中央アフリカ国旗が制定されたのは1958年12月1日、フランス共同体内の自治領としての発足と同時でした。
フランス共同体
1958年、フランスのド・ゴール大統領が第五共和制を樹立すると、同時にフランス植民地に「フランス共同体」という枠組みを提示しました。植民地に自治権を与える一方、国防・外交・通貨はフランスが管理し、完全独立か共同体内自治かを各植民地が住民投票で選択する、という仕組みです。
そして1958年9月28日の住民投票で、ギニア以外のほぼ全てのアフリカ仏領が「共同体内自治」を選択しました。中央アフリカもそのひとつです。完全独立はまだ先、まずは自治を確立するという段階的アプローチでした。新自治政府には新国旗が必要であり、そこでボガンダが急遽デザインを作成しました。
1960年8月13日、完全独立
そして1960年8月13日、中央アフリカ共和国は完全独立を果たします。国旗は1958年版をそのまま継承しました。ボガンダの理念が、独立国家の象徴として今も生きているわけです。
「赤」── 両大陸の血
中央アフリカ国旗の赤い縦帯は、非常に強いメッセージを持っています。
ボガンダの言葉
ボガンダ自身が、国旗の赤について次のような言葉を残しています。
「フランスが危機に瀕した時、我々は血を流した。アフリカのため、中央アフリカ共和国のため、フランス共同体の一員として、我々はもう一度血を流すだろう」
これは、第一次・第二次世界大戦でフランス植民地兵としてアフリカ人がフランス側で戦った歴史を踏まえた言葉です。第一次大戦ではセネガル狙撃兵など数十万人のアフリカ人がフランス側で戦闘し、第二次大戦では自由フランス軍にもアフリカ部隊が参加しました。
アフリカ人の血が、フランスの自由のために流された。その歴史を、国旗の赤い縦帯が表現しているわけです。
縦に貫く設計
そして赤が縦に走ることで、4色の横帯(青・白・緑・黄)を貫き、フランス(青・白)とアフリカ(緑・黄)を赤い血の線で繋いでいます。フランスとアフリカは血で繋がっている、という強烈なメッセージです。
これはフランス植民地主義への単純な肯定でも否定でもなく、両者の歴史的な絆を認めつつ独立国として進む、というボガンダ独自のバランス感覚を表現しています。
独立後の苦難
中央アフリカ共和国は、独立後、政治的に非常に不安定な国でした。
ボカサの時代
1976年12月4日、ジャン=ベデル・ボカサ大統領が「中央アフリカ帝国」を樹立し、自らを皇帝に即位させました。ナポレオンを模した戴冠式を挙行しましたが、その費用は当時の国家予算の3分の1に達し、フランス政府から厳しい批判を受けます。1979年にはボカサが学生虐殺事件を起こし、同年9月、フランス軍の介入で皇帝退位に追い込まれました。
現代史でもっとも奇妙な独裁政権として、ボカサの帝国時代は記憶されています。
連続する内戦
その後も、複数のクーデタや、1990年代以降に繰り返される民族・宗教紛争が続きました。2013年3月にはイスラム系武装勢力連合セレカが首都バンギを制圧し、ボジゼ政権が崩壊して政治的混乱がピークに達します。その後はアンチ・バラカ(キリスト教系民兵)との戦闘が2014年以降長期化し、現在も国連平和維持軍(MINUSCA)が駐留しています。
世界でもっとも紛争が続いている国のひとつという状況が、独立から60年以上経った今も続いています。
でも国旗は変わらない
これだけ激動の歴史を経ても、国旗は1958年から一度も変わっていません。ボガンダの理想を、後世が捨てなかったわけです。
国の現実は混迷していても、国旗のなかの理想は守られた。これは、世界の国旗にも見られるパターンです。
ちなみに:「Centrafrique」と「中央アフリカ」
「中央アフリカ共和国」には、いくつかの略称や愛称があります。フランス語では「Centrafrique」(サントラフリーク、「中央アフリカ」の短縮)、英語では「CAR」(Central African Republic の略)、日本語では「中央アフリカ」「中央アフリカ共和国」と呼ばれます。
国名は地理的位置をそのまま表現しています。アフリカ大陸のほぼ中心にあることに由来し、赤道に近くコンゴ盆地の北端という、アフリカでも特に「中央」と呼ぶにふさわしい立地です。
まとめ:2つの大陸の融合、1人の哲学者の夢
今回の中央アフリカ共和国国旗のまとめです。
- 横4本の帯(青・白・緑・黄)に中央に赤い縦帯、左上に黄色い五芒星
- 1958年12月1日採用、1960年8月13日独立後も変更なし
- デザイナーは初代大統領バルテルミー・ボガンダ(カトリック司祭からの転身)
- 汎フランス色(青・白・赤)と汎アフリカ色(赤・黄・緑)を1枚に統合
- 赤い縦帯は「フランスとアフリカ両方のために流された血」というボガンダの言葉に由来
- ボガンダの夢は「ラテン・アフリカ合衆国」(フランス語圏アフリカの巨大連邦)
- 1959年3月、独立を待たずにボガンダが飛行機事故で死去(49歳)
- 1976-1979年のボカサ皇帝時代、その後の連続する内戦・紛争を経ても国旗は変わらず
- 国名は地理的位置(アフリカ大陸のほぼ中心)に由来
フランスとアフリカは、血で繋がっている。中央アフリカ共和国の国旗は、ひとりの哲学者の理想を、世界の国旗のなかでもっとも独自な形で表現する1枚です。