青・黄・青の縦三色、中央に折れた三叉槍(ブロークン・トライデント)。カリブ海東部の小さな島国、バルバドスの国旗です。三叉槍が「折れている」――これが、イギリス植民地支配からの完全な決別を象徴する、世界の国旗のなかでも極めて珍しいシンボルです。そして1,000件の応募から選ばれた、美術教師のデザインでもあります。今回はそんなバルバドス国旗の話。
まずは構成のおさらい
バルバドス国旗の構成は、次のとおりです。
- 縦3本の帯(左から):ウルトラマリン・黄(金)・ウルトラマリン
- 中央の黄色帯:黒いトライデント(三叉槍)の頭部で、柄が折れている
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 青:カリブ海と空
- 黄(金):バルバドスの砂浜
- 黒い三叉槍の頭部:ポセイドン(海の神)の三叉槍
- 折れている柄:イギリス植民地支配との決別、独立
- 三叉槍の3つの先端:民主主義の3原則「人民の・人民による・人民のための政治」(リンカーンのゲティスバーグ演説)を表すとされます。現地では「過去・現在・未来」や「国家の3要素」など、他の解釈もあります
自然、過去の植民地遺産、独立、民主主義という4つの理念を1枚の旗に込めた、世界でも極めて思想性の高い国旗です。
「折れた三叉槍」 ── 世界で唯一の独立シンボル
バルバドス国旗の最大の特徴は、折れた三叉槍です。
「ブロークン・トライデント」
国旗中央の三叉槍は、完全な槍ではなく頭部のみが描かれています。本来の三叉槍は長い柄と3つの先端からなりますが、バルバドス国旗の三叉槍は頭部のみで、柄が「折れている」状態です。
植民地紋章との対比
バルバドスの植民地時代の紋章には、ブリタニア(イギリスの擬人化)が三叉槍を持つ姿が描かれていました。これはポセイドンがブリタニアに三叉槍を授ける図で、「イギリスが海を支配する」という意味を持ち、そこでの三叉槍は完全な形をしていました。
そして1966年の独立時、新国旗のデザインでこの三叉槍は意図的に「折られ」ました。「我々は、イギリスから完全に独立した。植民地の三叉槍は、もはや繋がっていない」というメッセージです。シンボルを物理的に破壊することで独立を象徴するというのは、ハイチ国旗(フランス三色旗から白を引きちぎる)と並ぶ、世界でも稀な独立表現です。
「3つの先端」 ── 民主主義の3原則
折れた三叉槍の3つの先端は、リンカーンのゲティスバーグ演説で知られる「民主主義の原則」を表すとされています。すなわち「人民の政治(of the people)、人民による政治(by the people)、人民のための政治(for the people)」です。
つまり「3つの先端=民主主義の3原則」というわけです。現地では「過去・現在・未来」や、かつての3州・主要産業などを表す解釈も並存しており、諸説あります。米国の19世紀の演説の理念が、20世紀のバルバドス国旗のシンボリズムのひとつとして取り入れられたわけです。過去(植民地)を折って、未来(民主主義)の3原則を3つの先端に込めた、極めて思想的なデザインです。
1,000件の応募 ── 美術教師の設計
バルバドス国旗の設計者を見ていきます。
グラントリー・プレスコッド
設計者は、グラントリー・W・プレスコッド(Grantley W. Prescod)です。バルバドスの美術教師で、1966年、独立準備期のコンテストに応募しました。
1,000件の応募
独立を控えた1966年、政府が国旗デザインコンテストを開催しました。応募総数は約1,000件にのぼり、そのなかからプレスコッド案が当選しました。
賞品
プレスコッドは、$500の賞金、政府からの巻物、金メダルを受賞しました。賞金は新聞社に寄付し、彼自身が最初の物理的な旗を縫っています。首相エロル・バロウの依頼で約7枚を仕立てました。
美術教師が自国の国旗をデザインし、自分の手で縫うというのは、アンティグア・バーブーダのレジナルド・サミュエル、ガーナのテオドシア・オコー、ソロモン諸島のニュージーランド人教師と並ぶ「教師による国旗」のパターンです。特にカリブ・アフリカ諸国の独立旗には、この傾向が強く見られます。
1966年11月30日、独立と同時に
そして1966年11月30日午前0時、バルバドス独立と同時に新国旗が初めて掲揚されました。
ポセイドンの三叉槍 ── 「海の神」のシンボル
国旗中央の三叉槍は、古代ギリシア神話のポセイドンの武器です。
ポセイドンとは
ポセイドン(Poseidon、ローマ神話ではネプチューン)は、古代ギリシアの海の神です。三叉槍(トリデント、Trident)を武器に持ち、海を支配して嵐や地震を起こすとされました。
海洋国家の象徴
そして「三叉槍=海洋国家」として、多くの海洋国家のシンボルになってきました。イギリスではブリタニア女神が三叉槍を持ち、ギリシアではポセイドンが国家神話の中心にいます。地中海の海洋国家マルタや、カリブ海の島国バルバドスでも同様です。
海に囲まれた島国であるバルバドスにとって、ポセイドンの三叉槍が国旗の中央にあるのは、地理的に自然な選択でした。
しかし「折れた」
ただし、バルバドス国旗の三叉槍は、伝統的な海洋国家のシンボルを独立のために「破壊」したものです。イギリス的な伝統が完全な三叉槍であるのに対し、バルバドスの独立は折れた三叉槍で表されます。伝統を継承しながら、同時に決別するという、複雑な独立国家のアイデンティティ表現です。
バルバドスという国
バルバドスの基本情報です。
- 正式名:バルバドス(Barbados)
- 首都:ブリッジタウン(Bridgetown)
- 面積:約430km²(東京23区の約2/3)
- 人口:約28万人
- 公用語:英語
- 準公用語:バジャン語(バルバドス・クレオール、英語ベース)
- 宗教:キリスト教(プロテスタント中心)
「カリブ海最東端の島」
バルバドスは、小アンティル諸島の最東端に位置します。他のカリブ海諸島から少し離れた孤立した位置にあり、大西洋に最も近い島です。ヨーロッパからの最初の到達地として「カリブの目」と呼ばれることもあります。
「リトル・イングランド」
バルバドスは「リトル・イングランド(Little England)」と呼ばれてきた歴史を持ちます。1627年から1966年まで、約340年間イギリスの植民地であり、カリブ海でも特にイギリス文化の影響が強い土地でした。クリケットが国民的スポーツであり、アフタヌーンティー文化やイギリス式の議会制度も根づいています。カリブ海のなかで最もイギリス的な国というのが、バルバドスの伝統的な位置づけです。
2021年、共和制移行
しかし2021年11月30日、独立55周年の日に、バルバドスは英国王を元首とすることをやめ、共和制に移行しました。サンドラ・メイソンが初代大統領に就任しています。国名は「バルバドス」のままですが、英連邦王国から英連邦共和国へと変わりました。国旗の「折れた三叉槍」が、55年経ってようやく完全に実現したというのは、世界史的にも興味深い瞬間でした。
「砂糖の島」 ── 奴隷貿易の歴史
バルバドスの歴史で最も暗い時代は、砂糖プランテーションと奴隷貿易です。17世紀以降、サトウキビが栽培され、イギリス本国向けの砂糖の主要供給地となりました。その労働力として多数のアフリカ人奴隷が連行され、現代のバルバドス人の約90%がアフリカ系です。国旗の青は海を表しますが、この海を通ってアフリカからバルバドスへ多くの命が運ばれたという、複雑な歴史を持つ海でもあります。
リアーナ
現代バルバドスの世界的に有名な人物は、リアーナ(Rihanna、1988年-)です。バルバドス出身のシンガーで、世界的なポップスターとして知られています。2021年の共和制移行時には国民的英雄(National Hero)の称号を授与され、バルバドスの観光大使的存在にもなっています。国旗の黄色はバルバドスの砂浜を表しますが、その砂浜で育ったリアーナは、現代バルバドスの国際的アイデンティティを象徴しています。
ちなみに:「Barbados」の名前
国名「バルバドス」(Barbados)は、ポルトガル語で「ひげのある(人々)」を意味します。
「ひげの木」 or 「ひげの人」
由来は諸説あります。ポルトガル人が発見した時、島のフィクスの木の気根が「ひげのよう」に見えたという説、先住民族(アラワク族・カリブ族)が髭を生やしていたという説、島の海岸に「ひげのような」海藻が漂着したという説などです。いずれにせよ「ひげ」が国名の起源だというのは、世界の国旗・国名の中で珍しいエピソードです。
最初の上陸者
1536年、ポルトガル人ペドロ・カンポスが最初に島を訪れたとされます。彼はこの島を「Los Barbados」(The Bearded Ones)と命名しましたが、ポルトガルは植民地化しませんでした。その後、1625年にイギリスが領有を宣言しています。
まとめ:折れた三叉槍が、独立を語る
今回のバルバドス国旗のまとめです。
- 青・黄・青の縦三色+中央に折れた黒い三叉槍の頭部
- 1966年11月30日、独立と同時に正式採択
- 設計者はグラントリー・W・プレスコッド(バルバドスの美術教師)
- 1,000件の応募からプレスコッド案が当選
- 賞金$500、政府の巻物、金メダル+首相依頼で最初の7枚を自ら縫った
- 青=カリブ海と空、黄=砂浜
- 三叉槍はポセイドン(海の神)の武器、海洋国家の伝統的シンボル
- しかし「折れている」=イギリス植民地支配との決別、完全独立
- 3つの先端=民主主義の3原則「人民の・人民による・人民のための政治」(リンカーン演説)
- 1627-1966年、約340年間イギリス植民地(「リトル・イングランド」)
- 2021年11月30日、独立55周年に共和制に移行(英国王を元首にやめる)
- 17世紀以降、砂糖プランテーション+奴隷貿易の歴史、国民の約90%がアフリカ系
- 国名「Barbados」はポルトガル語で「ひげのある(人々)」、1536年命名
- 現代バルバドスの世界的アイコンはリアーナ(2021年に国民的英雄称号)
シンボルを物理的に折ることで独立を表現する。バルバドスの国旗は、ハイチの「フランス国旗から白を引きちぎる」と並ぶ、世界の独立旗のなかで最も劇的な表現を持つ1枚です。