赤・白・赤の横三色。とてもシンプルなオーストリアの国旗ですが、この旗、世界最古級です。800年以上ほぼ同じデザインで使われ続けている、おそらくヨーロッパでも最古の部類です。しかも誕生の伝説が、なかなか壮絶。公爵の白い上着が、戦場で血まみれになり、ベルトの下だけが白いまま残った、そんな話を今回はしていきます。


まずは構成のおさらい

オーストリア国旗は、上から次のとおりです。

横三色で、色は赤と白だけ、紋章もありません。

シンプルすぎて、レバノン国旗(赤白赤に中央のレバノン杉)やラトビア国旗(暗赤色と白)と並ぶと、ぱっと見の見分けがつかない、なんてことも。でもオーストリアの旗は、この3色帯がもつ歴史の長さで他の旗を圧倒します。


「レオポルト5世の血染めの上着」伝説

オーストリアの国旗の起源としていちばん有名なのが、「血で染まった上着」の伝説です。

時は1191年、舞台は第3回十字軍。当時、ヨーロッパのキリスト教諸国が連合して、アッコ(現在のイスラエルの港町)を占領するムスリム軍と戦っていました。のちにキリスト教側が勝利する、アッコ攻囲戦です。

オーストリア公レオポルト5世(1157-1194)も、この戦いにバーベンベルク家の軍を率いて参戦していました。

戦闘は壮絶。レオポルトの白いサーコート(上着)は、敵味方の血と泥で完全に染まってしまいます。戦闘が終わり、重い剣帯(ベルト)を外したとき、そこから先がこの伝説の見せ場です。ベルトに隠れていた中央の部分だけが、白いまま残っていた。上下は真っ赤に染まっているのに、ベルトの下だけ白く清浄。「これこそ、オーストリアの旗の色だ」と、レオポルトはこの赤・白・赤の縞模様を自分の家紋に採用した、と言われています。

伝説としてはものすごく絵的で、戦士の旗の起源としてふさわしい話です。でも、これは「伝説」であって「歴史」ではない、というのが、ちょっとくせのあるポイントです。


実際にこの旗が文書に登場するのは、1230年

歴史的に確実なところを抑えると、この旗(紋章)の最初の文書記録は1230年ごろです。

レオポルト5世の没年(1194年)から約40年後、バーベンベルク家最後の公爵フリードリヒ2世(喧嘩公)が、赤・白・赤の紋章を自分の家系のシンボルとして文書で使用しています。

つまり、伝説では1191年のレオポルト5世が起源、文書証拠では1230年ごろのフリードリヒ2世の時代と、40年ほどギャップがあるんです。伝説の話と、史料に残る話が、ぴったり同じではない。典型的な「歴史と伝説のグレーゾーン」です。

ただ、それでも1230年というのは、現代の国旗の元となる紋章としては世界最古級。800年以上ほぼ同じデザインが使われ続けていることになります。


バーベンベルク→ボヘミア→ハプスブルク、と引き継がれた

赤白赤の紋章は、その後オーストリアの統治者が変わっても、引き継がれていきました。

バーベンベルク家(〜1246年)

紋章を最初に使った家系です。フリードリヒ2世が1246年ライタ川の戦いで戦死し、バーベンベルク家は男系が断絶しました。

プシェミスル朝(1246-1278年)

バーベンベルクの後を継いだボヘミア王オットカル2世が、赤白赤の紋章をそのまま継承しました。

ハプスブルク家(1278年〜)

1278年マルヒフェルトの戦いでオットカル2世がルドルフ1世率いるハプスブルク家に敗北し、ハプスブルクがオーストリアを支配下に置きます。ハプスブルク家自身は「黒地に黄色い双頭の鷲」を王朝の紋章としていましたが、赤白赤はあくまで「オーストリアという土地の紋章」としてそのまま残されました。これが大事なポイントです。

支配者の家紋(黒黄)とは別に、土地の紋章(赤白赤)が3度の交代を生き残った。これって、なかなか珍しい話です。


「王朝の旗」ではなく「国の旗」だった

オーストリアの赤白赤の旗がさらに特殊なのは、かなり早い段階から「国の旗」として認識されていたことです。

普通、中世ヨーロッパの「国の旗」は、その時代の王家の紋章です。たとえばハプスブルク家は「黒地に黄色い双頭の鷲」、神聖ローマ帝国の旗から派生した王朝色を独自に持っていて、ハプスブルク帝国・オーストリア帝国・オーストリア=ハンガリー帝国の「国旗」としては1918年までこの黒黄の旗が使われ続けました。

その一方で赤白赤は、ハプスブルクが支配する以前の1283年ルドルフ・フォン・ハプスブルクの時代から、すでに「オーストリアという土地の色」として認識されていたんです。王朝の入れ替えにかかわらず、土地と人々のシンボルとして残った、というちょっと近代的な発想がすでに中世から芽生えていた、ということになります。

そして近代になって、1918年、第一次大戦敗戦・ハプスブルク帝国崩壊。オーストリア共和国が成立すると、そのまま赤白赤を国旗として正式採用しました。帝国の象徴だった黒黄の旗は歴史の彼方に消え、土地の紋章だった赤白赤は残ったわけです。

家系よりも土地が長く生き残ったという、なかなか哲学的なシンボルの選択です。


世界最古の旗、どっちが先? ── デンマーク国旗との比較

オーストリアの「世界最古級の国旗」というポジションを語るとき、ほぼ必ず比較対象になるのがデンマーク国旗(ダンネブロー)です。

オーストリアデンマーク
伝説の起源1191年(アッコ攻囲戦)1219年(リンダニーセの戦い、空から旗が降ってきた伝説)
文書証拠1230年ごろ1219年(伝説)/14世紀(明確な記録)
国旗継続800年以上800年以上

両方とも800年以上の歴史を持ち、ともに「世界最古の国旗のひとつ」を名乗っています。どちらが本当に最古かは、研究者によって解釈が分かれます。「諸説あり」が正解です。

ただ、現在も使われている国旗のなかで、これほど古い起源を持つものは2つしかないというのは事実。オーストリアとデンマーク、この2つの旗は、特別な存在なんです。


まとめ:800年前から、変わらない旗

今回のオーストリア国旗のまとめです。

  • 赤・白・赤の横三色(紋章なし、世界でも最古級の連続使用国旗)
  • 伝説では、1191年アッコ攻囲戦でレオポルト5世の血染めの上着が起源
  • 文書証拠は、1230年ごろ、フリードリヒ2世(バーベンベルク家最後の公爵)が紋章として使用
  • バーベンベルク家からボヘミア王オットカル2世、ハプスブルク家へと支配者が変わっても土地の紋章として継承された
  • 王朝の旗(ハプスブルク家自身は黒黄の双頭の鷲)とは別に、土地と人々のシンボルとして扱われた珍しい特徴
  • 1918年、共和国成立とともに正式に国旗として採択
  • デンマーク国旗(ダンネブロー)と並んで「世界最古級の国旗」

伝説か史実かは諸説あるけれど、800年以上、ほぼ同じ赤白赤がオーストリアを表してきた。オーストリアの旗は、ヨーロッパの旗の歴史で最古級のレジェンドなんです。